ASD、Aro-spec …。「スペクトラム」の理解されづらさとAI時代の可能性
Tentonto代表のユミズです。本日はコラムとして、発達障害・感覚過敏の理解において切っても切れない関係にある「スペクトラム」という概念について、私なりに掘り下げて説明してみたいと思います。
spectrumについて語義を検索すると、「広範囲にわたる、関連している物、値、性質、考え、または活動」と定義づけられていることが分かります。ようするに、広範囲にわたって関連しているものたち、関連しているものを基準に大きなグループっぽく捉えられるものたち、というニュアンスだと思います。ですのでスペクトラムという語を含めてあらわされる概念は、何か固定された意味や状態や境界を持つというより、非二元的・非固定的な存在として「何かこういう傾向としてグループっぽく捉えられるよね」ということが現実にある、ということを意味します。
「○○とはこういうもの、だからこう対応する」という固定的な理解が、ひとまずの知性でアクションを起こしやすい枠組みになるわけです。しかしスペクトラムという語に関連する単語はそこから一歩踏み込んで、仮に固定する形として「○○とは例外も多いがこういう方向を持つもの、だから例外を踏まえてひとまずこう対応して様子をみる」のような態度として理解する必要があります。
自閉症スペクトラム(ASD)というと、はっきり完全に自閉症です、という人物を目撃することが少なく、「自閉症とは何か」を掴みづらいと思いますので、いったんLGBTQIA+の文脈で説明を試みてみたいと思います。LGBTQIA+のマイノリティの中にはアロマンティック・スペクトラム(Aro-spec)という自覚を持つ人々がいて、これはロマンティック、つまり一般的に持たれやすい恋愛感情に対して「自分はそのような感情は無い傾向がある」と自覚する人々の、スペクトラム的なありようを示した語のようです。
wikiで紹介されているだけでも、Aromantic、Aegoromantic、Aroflux、Demiromantic …とさまざまなアロマンティック・スペクトラム内の様々な顕れ、傾向が示されており(ご興味があれば調べてみてください)、Aro-specの人はこれらすべての傾向を持つというより、こういった狭い範囲の要素を単一または重なり合って持つことでスペクトラム、つまり大きなグループっぽく捉えられる状態になっているということです。
つまり、このような人々に対してはいったん例外があること前提で「Aromantic(恋愛感情は全く無い)」の人と仮に固定して話を聞き、その後にスペクトラムとしてどのような例外性があるかを踏まえて対応していく、というプロセスが必要になります。これが、ASDでも全く同じように当てはめることができ、スペクトラムゆえに、「自閉症」の人と仮に固定して話を聞き、その後にスペクトラムとしてどのような例外があるかを踏まえて対応していく必要があるわけです。
つまり「スペクトラム」というものは、理解に論理的思考力を要求する概念、ということになります。理解するためには条件分岐の細かい存在ということで、分岐を丁寧にみていくことが必要になります。ここで分かることは、知能指数の面で平均的であったとしても、ごく基礎的な論理的思考力の学習機会も無くできない人、好悪や快楽といった感情が主導で論理的思考力を手放す人(これについてはAro-specの人々が「恋愛感情主導がマジョリティ」と感じていることと通じていると思います)、は、スペクトラムの概念を非常に理解しづらいという事実です。
センサリーデザインのような、感覚過敏者向けの設計を考えていくデザインにおいては、五感がどのように過敏や鈍麻があるか、のパターンが様々あり(まさにスペクトラムの在り方)、それらを総合的に踏まえて柔軟に対応できるように様々なプロダクトや、柔軟に対応可能な空間・環境をデザインしようという概念ですので、これもスペクトラムの話になります。そのようなデザインを行なうためには、論理的思考力が不可欠であろうことは理解してもらえるかと思います。
社会全体で論理的思考力を高めることが奨励・常識化されていれば、スペクトラムの理解もスッと当たり前のようにされていくわけですが、教育現場においてようやくメタ認知の重要性が叫ばれる段階である現状、スペクトラム性を持つ概念が理解されることは容易ではありません。また感情主導で、感情に振り回されやすく論理的思考力を手放すということを諫めるような精神教育がなされるわけではない社会構造の場合は、理解にはさらなる困難があると言っていいでしょう。
これは当事者自身にも言えることで、困難を抱えてただでさえ余裕が無い中で、論理的思考力を発揮しなければ自律的に問題に対処できないという状態であり、高い論理的思考力の実質的な発揮の能力が無ければ、困難が拡大していくということでもあります。
ここまでを聞くとネガティブな話題ばかりとなってしまいますが、現代だからこその可能性もあります。翻訳AI・チャットAIの進歩により、海外のプログラミング教材を母国語に変換して受講できたり、チャットAIにコード読解やコード生成をさせられることで、論理的思考力を育むプログラミング教育は以前よりずっとローコストで受けやすくなりました。また「人間ではない気軽に話せる相談相手」としてのチャットAI利用は、感情面での暴走を収束させたり、メタ認知を促す側面もあると思います。
スペクトラム当事者においても、スペクトラム当事者を社会認知していこうという世界の住人である関係者においても、論理的思考力を高めることの重要性があり、それを実現しうるツールも揃いつつある、と言えます。センサリーデザインの普及にも強く関連してくる内容です。Tentontoは一介の当事者団体でありますが、このような時代の流れを引き続き注視しつつ、我々としてできることを今後も取り組んでいきたいと思います。
ユミズ タキス
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