コラム:発達障害と向き合うために
発達障害のあるなしは、たとえば顔の違いと似ています。
顔の美しい人、醜い人、そのどちらでもない人がいます。
全体のうち少数という点で、顔の美しい人、醜い人は
顔が原因の問題に、しばしば遭遇してしまいます。
発達障害のあるなしは、たとえば顔の違いと似ています。
顔の美しい人、醜い人、そのどちらでもない人がいます。
全体のうち少数という点で、顔の美しい人、醜い人は
顔が原因の問題に、しばしば遭遇してしまいます。
絵:わかめ
こんにちは。アスペしぐさ師範代こと、TENTONTOメンバーのボウシです。前回のアスペしぐさでは、マンガを「察する感覚」の違いを補うことに役立てていたお話をご紹介しました。今回はマンガに「居場所のある安心感」を得ていた、私のエピソードをお伝えします。
前回触れた、ASD者が抱えやすい「察する感覚」の違い。感情の機微などの明文化されないものを察する感覚のズレは、時として周囲から「空気の読めない」と評価され、孤立してしまう原因になります。【テントントさんがやってみたコト】では多くのテントントさんが、感覚の違いから社会的な場で困難を抱えていたと語っています。そして、ロッククライミングや音楽、漫才などの自分に合った活動の中に居場所を見つけています。
私自身もその一人で、家でも学校でも周囲の状況がよく把握できずに、「居場所のある安心感」が得られにくい日々でした。特に中学校では、思春期特有の明文化されていないルールが増え、とても混乱しました。
私は没入感に憧れる。
延々と歩き続けたり、泳ぎ続けたり。
色を塗り続けたり、折り紙を折り続けたり、
ときどきうっかりマフラーを編みすぎたり。
自分が、いま、ここ、に居るなぁと体感できるほど集中できることは、
私の中で価値が高い。
洗濯機に入れられた洋服みたいに、私が飛び込んだら勝手に振り回してくれるような魅力を持った何か。
そういうものに身も心もめろめろになりたい。
めろめろのまんま力を使い果たしてくたくたになりたい。
私は茫漠とした風景を前にすると何とも言えない気持ちになる。
草原フェチと呼んだらいいのだろうか、だだっ広くて見通しの良すぎる風景を眺めることがだいすきだ。
目が融けてしまうくらい、そういう風景を見続けたいがために電車やバスに乗ることもある。
「誰しも同じように、人にいえないことがある。」人という知的生命体に神秘を感じたいからか、自分の普通ではないトクベツな気持ちを代弁したいエゴイズムなのか、そんな言葉を感想に添えられる。感覚の違いについて独白した際に、その応対としてこの言葉を伝えられることが、私にはままあります。
「勉強しかできない奴はダメ」「テストの成績はよくても、仕事できない奴はダメなんだよ」。職場や学校で、こんなフレーズを言ったり言われたりしたことのある方、けっこういるのではないだろうか。
僕も中学生の頃に言われたことがある。当時所属していた球技の部活動の練習をしていたときのことだった。すごく驚いて、悲しい気分になったのをよく覚えている。自分がとても理不尽な扱いを受けているように感じてしまったのだ。
「勉強できるけど仕事できない」でGoogle検索してみたら、なんと100万件以上のページがヒットした。もちろん全部が全部このフレーズに関わるものじゃないだろうけど、「勉強できるけど仕事できない」問題は多くの人にとって深刻なものみたいだ。なんだか心に引っ掛かるこの言葉。一体なにが気になるのか。ちょっと整理してみたので、お付き合いいただきたい。