コラム:季節と感情の共存

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8月もお盆を過ぎまして後半にさしかかりましたね。日もだんだんと短くなってきているので、あっという間に秋が来るのでしょう。気がついたら季節が変わることは、歳を重ねる毎に当たり前になってくるのかもしれませんが、もしそうならそれは少し勿体ないなと感じています。

さて、今夏はどことなく“夏”という季節感を感じられていませんでして、心もとない日が長く続きました。私の中で、季節感と感情とは強い結びつきを持っており、この二つは常に共存をしています。どちらかが欠けていれば、記憶または思い出などの蓄積する抽象物が一切身体に残らない、いわば空白の期間になってしまうのです。

8月に入って、日本各地の風鈴が集まる、西新井大師の風鈴祭りに行ってきました。風が吹く度に風鈴たちは「私が世界で一番良い音よ!」「いやぼくの音は群を抜いて光っている!」などと、個々の音色を自我にのせて鳴り響かせていましたので、選ぶのが大変でした。その中でもとびきり高音で心地よく、鋭く私の脳に響いた風鈴がありました。それは山梨県の「南部風鈴」で、ふくろう型の鋳鉄のものを購入しました。この南部風鈴の「みなみさん」は、私にほんの少しの夏と、ほんの少しの愛を運んできてくれた気がします。

死に物狂いで鳴き続けて、飛び回りながら生を紡ぐ蝉。満員電車にて彷徨う、もやもやふんわりとした人間が発する不穏な香り。そんな”物理的な夏”は、身近にたくさん溢れています。しかしそのような夏に対しては、やはりただ物理的なものとしか捉えられず、私の身体はそれらを季節感と判断できずにいました。ただ、みなみさんに私が夏を感じることができたのは、それなりの思い入れを持って選んだみなみさんが出す物理的な夏の部分を受け入れられたからなのかな、と踏んでおります。

季節感は”後追いをするもの”で、すべて私の感情がつくりだしているのかもしれません。でも、季節感から生まれる感情があるのも確かです。一概にこうとは決められないのが、人間という生き物の動物らしい部分だなと思います。

皆さんはどんな夏をお過ごしなのでしょうか。まだまだ暑さは続きますが、2015年の夏の記憶、何かしらの形で身体に蓄積されるよう願っています。私も日々、秋が来るまでにみなみさんとちゃんと夏を生きること、しようと思います。

わ田かまり