マンガから得た二つの「居場所」

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絵:わかめ

アスペしぐさ 第2回

こんにちは。アスペしぐさ師範代こと、TENTONTOメンバーのボウシです。前回のアスペしぐさでは、マンガを「察する感覚」の違いを補うことに役立てていたお話をご紹介しました。今回はマンガに「居場所のある安心感」を得ていた、私のエピソードをお伝えします。

前回触れた、ASD者が抱えやすい「察する感覚」の違い。感情の機微などの明文化されないものを察する感覚のズレは、時として周囲から「空気の読めない」と評価され、孤立してしまう原因になります。【テントントさんがやってみたコト】では多くのテントントさんが、感覚の違いから社会的な場で困難を抱えていたと語っています。そして、ロッククライミング音楽漫才などの自分に合った活動の中に居場所を見つけています。

私自身もその一人で、家でも学校でも周囲の状況がよく把握できずに、「居場所のある安心感」が得られにくい日々でした。特に中学校では、思春期特有の明文化されていないルールが増え、とても混乱しました。

そんな時、TVで放送していたあるアニメに強く興味を引かれました。放送していたのは前回もご紹介した『絶対可憐チルドレン』。原作コミックスを読み進めていくうちに、私はマンガの中に現実では味わったことのないような安心感を覚えるようになりました。

作中に登場するナマイキな10才の女の子3人は、強力な超能力を持つゆえに非超能力者の社会に溶け込めないでいました。しかし良き理解者となる一人の青年と出会い、外の世界に触れ、成長していきます。

コミックスの1巻に、『最終的に「才能」を「超能力」に例えて、そのやっかいさを表現する形になりました。才能や個性っていうのは「型にはまらない何か」です。』という作者のコメントがありました。作中で主人公たちは、単なる「超能力者」ではなく「一人の人間」として、腫れ物のように扱われることなく受け入れられていました。

『絶チル』をきっかけに、少年マンガを読むようになりました。色んなキャラクターが存在し、共存する少年マンガの世界観に、私は居心地の良さを感じたのです。私にとってマンガは、混乱することなく安心感が得られる居場所になりました。

そして、マンガは現実から逃避するだけではなく、自分の居場所を作るための共通言語として使えることに気づきました。ファンブログで書き込みをしたのをきっかけに、Twitterで交流をしたり、マンガのイベントに参加したりと、趣味の仲間と居ることで現実でも安心が得られることを知りました。

つらいときに心の逃げ場所があること。好きなものから仲間を作ること。この二つを満たすものは、人によって様々でしょう。私の場合はそれがマンガで、幸いにも同じものを好きな人が比較的見つけやすかったと思います。

ボウシ