コラム:「臭いものに蓋」は、センサリー?
以前このサイトのコラムで、「否定の言葉は、魚の小骨?」と題して記事を書きました。簡単に説明すると、ASD者は文脈が”見えない”ゆえに、言葉そのものの凹凸につまづきやすい、という内容です。つまづくたびに、パニックになったり、萎縮したり、ヤケになったりと、気分障害という形で二次障害を起こしやすい傾向があることも、お話しました。
こと、ダイナミックな対人間のコミュニケーションよりも、自身の熱中する定常的な何かに意識・意欲が向きやすいASD者であるがゆえに、この問題に具体的な対策を打つことにおっくうのままでいる方は多いと感じています。怠惰がたたり、「ラクチンな人」のみとのコミュニケーションに絞ったり、コミュニケーションそのものを手放したり。コミュニケーションの障害への開き直り、と言えば聞こえは良いですが、徐々に当人と関係者の幸せを蝕んでいく、生産性に欠けたものと私には感じられます。
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