コラム:「臭いものに蓋」は、センサリー?
以前このサイトのコラムで、「否定の言葉は、魚の小骨?」と題して記事を書きました。簡単に説明すると、ASD者は文脈が”見えない”ゆえに、言葉そのものの凹凸につまづきやすい、という内容です。つまづくたびに、パニックになったり、萎縮したり、ヤケになったりと、気分障害という形で二次障害を起こしやすい傾向があることも、お話しました。
こと、ダイナミックな対人間のコミュニケーションよりも、自身の熱中する定常的な何かに意識・意欲が向きやすいASD者であるがゆえに、この問題に具体的な対策を打つことにおっくうのままでいる方は多いと感じています。怠惰がたたり、「ラクチンな人」のみとのコミュニケーションに絞ったり、コミュニケーションそのものを手放したり。コミュニケーションの障害への開き直り、と言えば聞こえは良いですが、徐々に当人と関係者の幸せを蝕んでいく、生産性に欠けたものと私には感じられます。
テントントでは、当事者の感覚に寄り添ったデザイン「センサリーデザイン」を、これまでご紹介してきました。そのセンサリーデザインの考え方からすれば、たとえば先程挙げた「ラクチンな人」や「コミュニケーションしなくてもいい」ことこそ、当事者の感覚に寄り添う理想のセンサリーデザインではないか、と考えてしまった場合。そうなってしまうとセンサリーデザインは、ASD者の怠惰を助長しかねない要素となってしまいます。
考え違いをしそうになってしまいそうなときには、目的を見据えることが大切です。コミュニケーションの本質は「対話」なので、コミュニケーションにおけるセンサリーデザインを考えるのであれば、対話する際の困難を減らしていくことを目的としたデザインが、本質に適ったセンサリーデザインとなります。
その意味で否定の言葉に「臭いものに蓋」することは、対話する感覚を閉ざしてしまうことになり、緊急かつ最終の処置としてはありえても、社会生活を送る上で継続の難しいことと考えられます。センサリーデザインはまだまだ黎明期で、コミュニケーションといった複雑な人間の行動にまで適用する研究はこれからといった段階です。こうした当事者自身に起こり得やすい考え違いに対しても適切な切り分けとデザインのできる「センサリーデザイナー」が、将来的に求められていくのではないでしょうか。
ユミズ タキス
ASD & ADHD Magazine TENTONTO編集長。
ASD,ADHDの当事者で、OCD,SPDの傾向も強い。
大学ではプロダクトデザインを専攻していた過去を持つ。
人間にとっての遊びをテーマにした研究がライフワーク。