コラム:まぶたの裏の絵本

秋の夜長、星がきれいに見える季節になってきました。最近は、昼よりも夜の方が眩しくないので過ごしやすいと感じることが多いmarfです。

時々、視覚の感覚過敏のため、刺激の多さににうんざりして、見えるより見えない方が良いなんて極論を思うことすらありますが、さすがに小さいときは明るくて見通しの良い昼の方が好きだったような気がします。

私は臆病で不機嫌な子どもでした。振り返ると感覚過敏を持て余していたためではないかと思います。知っているもの、見えるものは安心で、知らないもの、見えないものは恐怖でした。

当時、夜には私の知らない秘密の時間が流れていると信じていました。そして暗闇には私を脅かす何者かが潜んでいると思っていました。肉体的に疲れきっていないとき、眠るまで特に神経質になることがありました。

もしここで無防備な状態になってしまったら、闇に潜む(と私が勝手に思っている)何者かに襲われたとき、素早く逃げ出すことができません。私は自分の両目を取り出してまぶたを閉じたまま眠る自分を見張っていたいと、いつも思っていました。緊張したまま、抗えないくらいの眠気がやってくるまで待つというのは、なかなか骨が折れました。

そんなとき、私は暗記するほど読んだ好きな絵本の絵をまぶたの裏でなぞって、怖い気持ちを紛らわしていました。真っ暗な夜に、ぽっかり空いたエアポケットへ吸い込まれると、とても自由な良い気持ちになれました。そのうち体の力も抜けて布団へ溶けるように眠ってしまえました。私は苦し紛れに自分で感覚過敏への対処をひねり出していたようです。

あのとき、知らないものや見えないことが恐怖の対象になっていましたが、そういうものへの強い情動が湧き起こらなければ、想像の世界へジャンプすることもできなかったのではないかしら、と今になって思います。

大人になり、起きている時間が長くなって、夜への恐怖は和らぎました。同時に、知らない時間=秘密の時間、という素敵な魔法に、かかりにくくなってしまってしまいました。非力な子どもの私は怖い気持ちと引き換えでしたが、今の私ならもっと工夫して、想像のエアポケットへ簡単にアクセスできると思います。

marf