コラム:ASDな自分が苦手なパターンの会話と、その逆について

メンバーのTEHOです。前回のコラムで書かせていただいた<ばかまじめな相互理解の過程>について、もう少し詳しく書いてみたいと思う。実際に自分が体験した会話をたとえにして、まず自分が苦手なパターンの会話について説明してみる。

ある日仲間内で集まった際に、そのうちのひとりが頭を奇抜な髪型にしてきた。彼の髪型に対して「似合ってなくね?」のような感じで、みんなで茶化してイジる流れの会話が始まった。急に「TEHOはどう思う?」と話を振られ、自分はその髪型は悪くないのではと思っていたので、その根拠も考えた上で「いいんじゃない」と答えた。それに対して「ははは、根拠はなんだよ」とみんなから笑って返された。こちらは根拠を持って発言しているのにそれを汲んでもらえなかった気がして、場の空気にそぐわないイライラした態度を取ってしまった。

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このようなエピソードから、定型発達の彼らが会話をすすめる上でノリや空気で話をするのに対し、自分は議論に近いような手順を大切に踏む話をしがちであることに気がついた。自分はどうも会話の過程のうち、手順が飛び飛びになっていると、上手く話せないことが多い。いわゆる会話の流れや空気みたいなものをなんとなく察せたとしても、ありきたりな返答を求められているような、予定調和の茶番じみた感じがして興ざめしてしまう。

自分が面白くて話しがいがあるなと思う会話には2パターンあると思っていて、そのうちのひとつを紹介したい。と言っても単純な話で、自分が苦手な<手順が飛ぶ会話>の逆、つまり<手順を多めに踏む会話>が自分は快適に感じる。ありがたいな、と思う。

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発言の背景にはそれなりの根拠があり、聞き手が納得できない場合には、さらに突っ込んで説明をしてもいいような雰囲気。ノリを楽しむというよりは、意見交換をして見識だったり、自分や相手の理解だったりを深めるような会話。そんな場が自分には向いているのだと思う。

だが堅苦しいと言われればそれも否定できないのも事実で、(正直めちゃくちゃ楽しいけれど)そんな話ばかりだとさすがに疲れる自分もいる。息抜きしつつ人と話すには、もう一つのパターンの会話が嬉しかったりする。

続く