人の気持ちを想像できないなりに

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画像出典元:M’s PLUS http://www.ms-plus.com/

先日の編集長タキスの記事(コラム:有害、無害について考える)を読んで思い出したことがあり、それにまつわる事柄で自分なりに考えるところを今日は書いてみたいと思う。

思い出したというのは、10年ほど前に私がやっていたSNSでの話だ。そのSNSで繋がりのあった男性が、ある一つのニュースを取り上げて記事を書いていた。内容は、車椅子の方の転落事故のニュースを、ガンダムに出てくるロボ、ガンタンクが発進するシーンの画像とともに紹介するというもの。足がキャタピラで見た目が車椅子っぽいガンタンク。事故の状況とかけてふざけているその記事は、淡白な文章と相まって妙に笑いを誘うものに仕上がっていた。

こう言ってはアレだが、笑えるか否かという尺度でいえば、秀逸で笑えるものではあった。内容の不謹慎さから当然、コメント欄には非難が寄せられた。「もしこの事故の被害者があなたの親族だったとして、第三者に好き勝手に茶化された場合あなたはそれを許せるのか」といった質問に対して、その記事を書いた男性は「マジレスする(※冗談抜きで真面目に答える)と、面白ければ許す」と返していたのを覚えている。

ここで少し自分について話をさせてもらうと、私のASD傾向の一つに、想像力が乏しいという点がある。例えばテレビで流れる悲惨なニュースに対して、悲しみや怒りを覚えたりすることがほぼない。だから、先ほど例に挙げた一連のやりとりを見たときも、当時は自分がどのようなスタンスを取ればよいのかが分からなかった。

ニュースの被害者の遺族の気持ちを、想像することができない。そんな自分は、その記事を書いた”マッドな”男性の言うような立場の方が、自分に置き換えて考えやすかった。しかしだからと言って、自分の美意識のためにとる行動で誰かが傷つく可能性があるなら、そのままで良いわけがないような気がずっとしていた。そのあたりが私の持つ道徳観念、私の”大事にしなければいけないもの”なのだと思う。

ついこの間の編集長とのミーティングの折、「君はASD傾向がある人の中では、人間に関心の薄い人も多い中、人間自体に興味がある方だと思う。」と言われた。人間の気持ちを想像するのが苦手なのに、人間には興味がある。今にして思えばそのあたりの矛盾が関係して、自分の道徳観念やスタンスが明瞭になっていなかったのではないかと思う。

自分の少しややこしい道徳観念について、思索を深めてみたい。

(つづく)

TEHO