コラム:ステーキ屋に行けない

僕はステーキ屋に行けない。ビーフステーキが苦手だからだ。牛肉にアレルギーがあるとか、脂っこいのが嫌いとかではない。ビーフステーキを切ることができないのだ。ナイフとフォークを使うことはできる。けれど、ビーフステーキにフォークを刺し、ナイフを入れて切り分けることがどうしてもできない。


厚さが10mm程ある焼いた牛肉に、ギザギザの入ったナイフの刃を立て、それをギコギコと前後に動かしていると、それが切り取られる前の生きている牛の姿が頭に浮かんでくる。血の気が引いて、手の先や頭がスーッと冷えていくのがわかる。なんとか切り分けた肉を口の中に入れたとき、あるいはナイフのギザギザが牛肉の硬い筋に触れたとき、たいてい頭の中が真っ白になる。こうなると、それ以上手が動かせない。座っていることすらできなくなって、ステーキ屋の椅子に寝転がらなければならなくなったことが何度もあった。向かいの人がステーキを切り分けるのを見ているだけでも同じことが起こる。ちなみに、鶏肉料理(チキンソテーなど)も同じ理由で苦手だけど、食べることはできる。豚肉のステーキは全然平気で、自分で切り分けることもできる。

焼肉屋でも苦手なメニューがある。牛タンだ。牛タンを口の中で咀嚼しようとするとき、それが血液が循環している生き物の身体の部位(しかもベロ!)だった時のことをいつも想像してしまう。薄いヤツならなんとか飲み込めるけれど、肉厚に切ってあると絶対に食べられない。視界にも入れたくない。今この文章を書いている間も気分が悪くなっているくらいだ。カルビとかロースとかは大丈夫。内臓系のメニューも平気だ。ユッケも食べられる。多分、細切れに調理してあるからだろう。

ここまで書いたことを総合すると、僕の脳は「一定の厚み(だいたい3mm以上)があって、歯応えがしっかりしていて、血の気っぽい肉を切り分けたり咀嚼したりしてはいけない」と判断しているらしい。肉の種類の違いや加熱の有無をどう判別しているかはよく分からないが、豚肉や鶏肉の方が血の気が少ないと見なしているのだろう。ステーキ屋や焼肉屋で気分が悪くなると、首筋と頬を痛くない程度に、手のひらで繰り返しはたく。そうすると少しだけ気分がマシになるのだが、同席している人からすれば何をしているのか全くわからないだろう。

僕はこの話を人前でしないようにしている。まず分かってもらえないからだ。食べ物を粗末にしてやろうという気も、面倒くさいから肉を切りたくないなんて気も全くない。なのに、「それは甘えだ」なんて冗談半分に言われたりすると当然頭に来る。そういう人たちは例外なく僕をからかうだけで、現状を改善してやろうという気なんて全然ないのだ。悲しくて呆れた気分にすらなってくる。共感することは難しいにしても、理解しようという姿勢だけでも見せてくれると嬉しいのだけど。

もちろん、できることなら直したいと思ってる。訓練のつもりでステーキ屋でビーフステーキを注文し、自分で切り分けて食べようと何回か試みたけど、やっぱり駄目で、椅子にぶっ倒れた。随分勝手な処理基準だと思うけど、多分直せないのだ。「マンガみたいに分厚い肉にムシャムシャ齧りついてみたい」と思うことはあるのだが、脳の処理が邪魔をしてそれをさせてくれない。この処理基準では映像やイラストも例外とは見なしていないらしく、例えば映画を見ているときに、画面の中で登場人物がビーフステーキを食べ始めたりするといちいち目を逸らしている始末だ。まったく困ったものだと思う。

Yutani