コラム:イヤフォンで守れるもの

ヘッドフォンをして
ひとごみの中に隠れると
もう自分は消えてしまったんじゃないかと思うの
—For You/宇多田ヒカル(2000)—

私が中学校へ上がるとき、入学祝で叔母がMDウォークマンをプレゼントしてくれた。当時の最新機器、というワクワクもあったけど、今振り返るとあの時イヤフォンという道具に出会っていなければ、私が音を聴くという行動に執着することは無かったんじゃないかと思う。

私はiPodとイヤフォンがあればパーソナルスペースを確保できる。それは、日々満員電車を生き抜いている通勤通学の人々には今更な生活の知恵だろうけれど。特別日常の話し声や生活音にストレスを感じている身としては、いつでも自分の好きな音で耳を塞いでおけるという点で、外出時、なくてはならないものになっている。私の場合、家族の足音、テレビの音、換気扇、掃除機、コーヒーメーカーの作動音、電話のコール音、インターフォンの音などの生活音にもびくびくしてしまうので、在宅時もたいていイヤフォンをして過ごしている。ノイズキャンセラーとでもいうのか、好きな音を追いかけていれば集中力を保つことができる。一度深い集中状態に入れれば周囲の音も気にならなくなるので、気付くと何も再生していないのにイヤフォンを装着していることも実はよくある。これじゃただの耳栓と一緒だね。

突然だけど、私はかつてシンクロナイズドスイミングを習っていた。音響機材を使わない練習時のカウントは、コーチが金属の棒を打鳴らして合わせていた。地面で練習していると、その音があんまりダイレクトに鼓膜に響くので不快で嫌だった。けれど水中で聴くと、水が自分の周囲を充填して音を和らげてくれたので安心できた覚えがある。

そう、安心。それこそ私がいつも雲をつかむような気持ちで望んでいるものだ。

私を脅かす日常の音。誰かにとってはほんの些細なことだけど、こっちにとっては死活問題だ。体調の如何によっては、家の前を通り過ぎるトラックの振動で壁に寄せたスチールラック同士がぶつかる音でさえ、怖くて涙が止まらなくなったりもする。スキンシップが苦手なのと本質は一緒で、無遠慮に鼓膜を震わせないでくれって話だ。

私は自分の信じるいい音で心を充填してひとごみを泳いでいく。

marf