私は妄想ができない
Photo: 斧
21年間生きてきてようやく最近、気付いたことがある。それは、”私は妄想ができない”ということだ。ここ数年で、日々妄想をして生きている妄想家の知人が増えたことによって、この気付きを得た。妄想をする人にとって、妄想ができないという事実はよくわからないようだが、逆も然り。私も妄想というものが具体的にどのようなものかが分からない。
しかし、いつか私は妄想家に転じるのではないかと踏んでいる。
妄想家によって日々生み出される妄想の数々には、それと相反した深い現実の存在がちらついている。いつの日か、この現実は妄想を打ち砕き、妄想家の職をも失わせる威力があるのではないか、と考えている。過度の妄想家は現実を奥底で理解しているため、無意識に妄想に行き着いたのではないかと私は推測している。
そう考えた時に、先ほどの”私が妄想家に転じる”という未来が見えてくる。そして私こそが、天性の妄想家なのではないかという疑念すら生まれる。今は一切の妄想を背負わないニートの中のニートだが、いつだって妄想家に転職できるのかもしれない。しかしこんな人間だからこそ、今は全身で現実を感じて体に浸透させていくのが正しい気がしている。そして現実に愛想をつかした時に、私は妄想家に転じようという決意を、無意識に固めるのかもしれない。
わ田かまり
わ田かまり
人間は容器であるという考えのもと日々の生活を送っている。
もちろん私も凡庸な容器である。
しかしながらこの容器は僭越ながら飲み食いをしたり排泄もする。
最近の朝ごはんは茹できのこに温野菜、昼ごはんはスニッカーズ、
夜ご飯はチーズケーキである。このラインナップで2か月ほど経過した。
スニッカーズは2015年7月より毎日摂取、繰り返し行動に快感を覚える容器だ。