コラム:跳びはねることがしあわせな理由

どこまでも続いていそうな青空の下、敷石が敷き詰められたような茶色い地面の上に、小柄なおじさんが立ち尽くしているという奇妙な風景。有名なテレビゲーム『スーパーマリオブラザーズ』のスタート画面です。左手は十字キー、右手はダッシュボタンとジャンプボタン、たったこれだけで画面の中のおじさんを自在に操るこのゲームは、1985年以降に生きる世界中の沢山の人の心を捉えます。ASDとADHDを持つ幼い私も、その中のひとりでした。

思い返すと、生まれてはじめて自分の足でダッシュしたり、ジャンプしたりできるようになったとき、私はすごくうれしくて、どこまでも駆けて跳びまわっていました。その感動は、当たり前にできるようになってしまった後ではすっかり忘れてしまって、マイナスのこと、たとえば息が切れて疲れる、万一転んだ時に痛い、時と場所を選ばないと周囲の人から蔑まれるなどばかりが目立つようになります。そう感じるようになってしまった私にとって『スーパーマリオブラザーズ』は、自在に自分の体を操る感動を再び得られながらも、操ったためのマイナスに苛まれることのない、最高の遊び環境でした。私の走り回るのが大好きという感覚にぴったりと合ったという意味で、このゲームは私にとって素晴らしいセンサリーデザインだったのだと思います。

何かを操縦する楽しさの根っこには、こうすればこうなる、ああすればああなるといった、操縦するものと操縦されるものとの相互作用(インタラクション)のおもしろさがあるのだと思います。そして、上手に操縦できたときには、まるで自分が新たな体を手に入れて、好きなところへいつでもどこでも行けるような、そんな素敵な夢を見たような気分になります。社会的相互作用の障害とされているASDですが、逆にこのような相互作用にかける強い情熱とそれに伴う感性の豊かさがあると、私はASDを持つ方とお会いするたびにいつも思います。

私と同じくASDを持つ東田直樹さんの著作『自閉症の僕が跳びはねる理由』には、跳びはねることについてこう書いてあります。

僕は跳びはねている時、気持ちは空に向かっています。空に吸い込まれてしまいたい思いが、僕の心を揺さぶるのです。(66ページ)

ASDを持つ人の中には、自分の体を動かす感覚に違和感やずれを感じている方が少なくありません。東田直樹さんも、感覚が捉えづらい自分の体を動かすことに対して大きな苦しみを抱えています。そんな彼が心が揺り動いたときに欠かさないのがジャンプです。

この文章を読んだとき、私は『スーパーマリオブラザーズ』の青空の中、一際高く跳びはねる自分の気持ちと重なりました。形は違えども、跳びはねるしあわせについて東田直樹さんと深く共感しあえた気がして、感動したことを今でも覚えています。

ユミズ タキス