コラム:センサリースポーツとしてのボクシング

編集長タキスが実生活でいま一番救われているもの、それはボクシング。今日はその良さを、ざっくばらんに書いてみたいと思います。

過去にも、テントントさんにおすすめのスポーツの記事テントントさんがやってみたことでの記事、そしてタキスの記事と、自閉症スペクトラム障害(ASD)者と格闘技の親和性について、これまでもお話してきました。なぜそうなのか一言で言ってみると、<上手い癇癪を起こせるようになる>からじゃないかと、私は考えています。

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ASD者は、まま癇癪(欧米ではメルトダウンと呼ばれる)を起こしがちです。不測の事態を無意識に想定する力が弱いので、なにかあるたび<描いていた砂絵を途中で吹き飛ばされたかのような落胆>に襲われます。しかし、落胆して何もかも投げ出してばかりもいられないのが人生。癇癪は、傍目からみるとなんとか止めさせたい事柄だと思うのですが、実は癇癪を起こすことによって気持ちを昂ぶらせ、ASD者は本人なりに再チャレンジに向けて意気込んでいたりするです。

とはいえ特にオトナになると、寝っ転がって地団駄を踏むワケにもいきません。モノに当たったり人に暴言を吐いたり、暴飲暴食、徹夜ゲームなど、おおよそロクでもない形で癇癪を表現するようになるのではないでしょうか。これは体を壊しますし、怪我をしたり信頼関係を失ったり、なにより自己嫌悪に陥りがちなやり方だと私は思います。

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その点格闘技(特にボクシングや空手など殴打系)は優秀で、一度技を身につけていると、なんの準備物もなしに体を動かすことができます。シャドーボクシングというシュッシュッと体を動かす動作は、見た目よりも瞬間的に体力を使えるので、すぐに気持ちが収まります。ゴリラが興奮すると胸を叩くのとほとんど同じようなものでしょうか。

ボクシングの歴史は古く、紀元前8世紀ごろにはすでにギリシャでサンドバッグやシャドーボクシングを使った練習が行われていたそうです。自分のような血の気の多いタイプの人間と、これまで歩みを共にしてきたスポーツなのかな、と、その歴史に想いを馳せたりしてみます。
 

ユミズタキス