コラム:理解の範疇を超えたもの

人ひとりひとりには理解の範疇というものがあって、その範疇を超えたものごとを理解するためには、大変な労力を要する、と思う。例えばで持ち出すのがいつもスポーツの話題になって申し訳ないけれど、私はボクシングをやっているので、パンチの打ち方で説明してみる。


 
はじめは力を込めてえい、とグーを突き出すという感じだろう。ここで筋のいい人だったり、似たような動きをやったことがある人は、他の人よりほんの少し、動きにぎこちなさがないかもしれない。それでもそれぐらいの差で、誰でも最初からボクサーみたいなパンチは打てない。

なぜなら、その人はパンチを理解していないから。ここからトレーナーに、体の姿勢やタイミングなどについて指導が入ってくる。理論的に語るのが好きな人は力学的なしくみで説明してくるかもしれないし、自然体が一番と考えている人はがむしゃらに回数をやらせるかもしれない。ああでもないこうでもないと言われながら、とにかくもがいて練習する。

あるときビュッと音のするパンチが出て、自分でギョッとする。そういう気持ちいい動きができたときは、理解が進んだとき。20回に1回しかいいパンチが打てなかった人は、理解を深めてどんどん成功率が上がっていく。もちろん考えすぎてスランプになったり、伸び悩んでプラトーといううまくならない期間もある。だけどパンチに向き合っただけ、パンチに対する理解の範疇は着実に、広がっていく。
 
 
 
発達障害に対する理解、について、似たような感じで考えてみたい。最初はそういう精神の障害があるらしいことを知る。テレビでもやってる。ここまではほぼ理解してない状態。自分自身や親族が診断を受けたり、親族や学校、会社でそういったことに向き合う必要ができた人は、どうにかして理解したい、と考えると思う。

本を読んだりネットで調べたり、人から話を聞いたりして、色々やってみる。おそらくボクシングのパンチのように、まったく今までの理解していた範疇の外にあったことだから、その情報やアドバイスにひとつひとつ戸惑う。他でもない人間の心を理解するなんて、複雑で難しいことは確かだろう。それでもなんとかかんとか整理しようとする。
 
 
 
ボクシングのパンチで、どの程度のパンチが打てるようになって、できるようになったといえるか。初心者、初級者、脱初級者、中級者、脱中級者、上級者、それぞれできた、のレベルは違うと思う。発達障害への理解も似たところがあるように思う。プロになりたい、フィットネスで、みたいに、自分自身を上手く使いこなしたい、当事者の部下ができちゃったのでとりあえず把握したい、といった感じで目的も違うわけだから、この求道者的なモノサシばかりもあてがえない。

とはいえ、それを理解する必要を感じて、理解の範疇を超えたものを理解しようとし始めた人が、より理解が深まることに越したことはない、と私は思う。少なくともよりよく闘えるようになるし、自分の分からなかった世界が見えてくること自体の心地よさだって、あると思うから。
 
 
ユミズタキス