コラム:ポケモンとバトル

170318

週一回のツイキャス配信でも度々お話ししているように、去年の11月からゲーム「ポケモン」の最新作、サン/ムーンで遊んでいる。ポケモン新作で遊び始めたのは2002年のルビー/サファイア以来16年ぶりだったが、見慣れたやつ、初めて見るやつ…いろいろなモンスターを捕まえ、育て、一緒に戦うという旅は相変わらず楽しく、10日ほどでエンディングまで至った。

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ストーリーをクリアした後は、より強いポケモンを育て、CPUやオンラインユーザーとのポケモンバトルを楽しんでいる。いわゆるゲームを「やりこむ」パートだ。そんな「ポケモン育成」に挑戦するのは、ポケモンに最初に触れて以来初めてのこと。初めての世界に足を踏み入れた不安も最初はあったがすっかりハマってしまい、もう3ヶ月ほどバトルで遊んでいることになる。

昔からテレビゲームは大好きだったのだが、遊ぶのはもっぱら一人プレイ用のゲームで、対戦ゲームは苦手だった。例えば、スーパーファミコン版のマリオカートでは、レース開始直後からふざけて逆走をして遊んでいた。勝ち負けがハッキリ決まってしまうのが怖く、負けたときのことを思うと戦う前から悔しくなってしまって、最初から勝負を放棄していたのだ。苦手というより、忌避していたという方が近いかもしれない。

正直に言って、最初はポケモンをやりこむこと自体にかなり抵抗があった。「やってはいけないこと」のようにさえ感じていた。高校生のとき、友達からポケモンのやりこみ要素についての話を耳にしたとき、なんだか気分が悪くなってしまったのを思い出す。ゲームのシステムや隠れたパラメーターを操作するような遊び方をしたら、ポケモンというゲームがもつエモーショナルな良さが失われてしまう、そんな風に考えていたのだ。

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そんな「怖がり」で「感情的な」子供だった僕が、今はポケモンバトルでしのぎを削り、その様子をニコニコ生放送で配信すらしている。そうすることができているのは、ポケモンというトモダチが、別の種類の「エモさ」―真剣にゲームをやりこむことを通じて得られるエモさを教えてくれたからだろう。最初から勝負を捨ててふざけるようなことをしては、自分の手で頑張って育てた、愛しいポケモンたちも否定することになってしまうと思う。今日も僕はポケモンたちと一緒に、真剣バトルに挑む。
 

Yutani