衣食住について

ishokuju
衣食住をうまく回すことは非常に難しい。

約20年生きているのに、未だにうまくやりくりできずにいる、無念である。

 
▼衣

衣食住の衣に関しては、起床時に漠然と着る服が決まっているのだが、

だいたいそれをうまく短時間でチョイスすることができない。

間違った服を着ると何をするにもそわそわ、何も身に入ってこない。

せっかく服を着て最寄駅まで来たが、走って戻り着替えるなんてことをやった日には

プランが崩れそれはそれで心がずたずたになる。

最近着た服に関しては、それを着た感覚をなんとなく覚えているので、信頼できる。

そのため、同じ服を週に何度か着たりすることもしばしばある。

 
▼食

衣食住の食に関しては、自分の中で食べても良いもの、悪いものが決まっている。

最近は時間がなくてもかぼちゃだけは絶対に切らすことのないように煮るようにしている。

かぼちゃは朝晩欠かさず食し、稀に弁当にかぼちゃを詰め、職場に持って行く。

昼間は職場の休憩室に行ける訳もなく、トイレにこもっていたり、

職場周辺を散歩しながらビスケットサンドというバニラアイスがビスケットによって

挟み込まれた大手乳業のアイスクリームを食べる。

食事に誘われても、なかなか行くことが少ない。

なぜならそこに私の煮たかぼちゃやビスケットサンドはないからだ。

なかなか他者との食事はハードルが高いものである。

 
▼住

衣食住の住に関して。

今の私はなんだかんだアパートに住むことができている。

怒鳴り声や、独特な嗚咽声も聞こえるが、なんだかんだ2年住んでいる。

日本にはほんとうに様々な企業がある。私は職を転々としてきた。

仕事内容も退職理由の一つになる場合もあったが、

人間関係に何か引け目負い目を感じ、

継続が困難な状況に陥ってしまうからである。

しかし、生きるために、どこかに住むために、

働くことは不可避であり、他者と関わることも不可避である。

自分にあった仕事、というより自分が続けることができる仕事を模索している。

仕事は手段、続けることができればなんでも良い。

働くことは好きだし、考えることも大好きである。

どうか頭を使うことはやめないでいたい。

 

1時間は長いのに1日は長いのに、1年は短い。

各々かかえるものはきっとある。

それは生きる上で何かしらの負担になっているものかもしれないが、

負担は個性、と思っていろいろと踏み潰していきたい。

 

わ田かまり