コラム:自販機の癒しについて
画像出典元:Colossal http://www.thisiscolossal.com/
以前、TENTONTOメンバーのミーティングで「自動販売機のセンサリーさ」が話題に上ったことがあった。ちょうど1年前、「セーフモード」をテーマにしたno.7の制作時だったと記憶している。日常的に見かける自販機という機械だが、自分の身体の状況に応じた快適さを、あたたか〜い/つめた〜い飲み物という形で提供してくれる、言わばセーブポイントと言えるのかもしれない…そんな話の流れだったと思う。
そのことを突然思い出したのは、アート系webマガジン・COLOSSALのある記事を見たのがきっかけだった。
Snow Covered Vending Machines Illuminate a Frozen Hokkaido http://www.thisiscolossal.com/2017/10/snow-covered-vending-machine/
この記事の中で紹介されているのは、日本人写真家・大橋英児による写真集「Time to shine」。冬の北海道での写真を中心に、雪の中にほぼ埋もれたもの、古民家の脇に置かれたものなど、夜の闇に佇む自販機たちの姿を映し出している。飲料に限らず、タバコや生卵といった様々な品目を提供する機械が、夜通し街中を照らしている…日本人には当たり前となっているだろう光景だが、改めて考えるとかなり不思議な光景だ。
「Time to shine」には、大橋氏自身によるこんなコメントが寄せられている。
夕暮れが近づくと、街中や道端のあちこちで自販機が輝きだす。この景色は自販機が普通に路上に置かれている日本独特の景色だ。
とりわけ雪夜に輝く自販機の明かりが好きだ。時として、この明かりに引き込まれるように感じる時もある。自販機の姿は生き物のようにも見え、私の心をとらえる。
自販機は日本のいたる所で見つめている、まるで自販機に監視されているように感じるのは私だけであろうか。
画像出典元:Colossal http://www.thisiscolossal.com/
日本全国、どこでも同じ姿で見られる自販機に対する、些か不気味な存在としての目線。それに加えて、思わず引き寄せられてしまう魅力的な存在としての目線。その二つが混ざった複雑な気持ちを感じさせるコメントだ。彼の作品を眺めてると、自販機が厳しい自然の中で「たくましく生きている」存在に思えて、なんだか愛おしくなってくるなと私自身は感じた。
喉の渇きや、手の冷たさ…といった、自然の条件によってダメージを受けた自分の身体に、人工的な暖かさ/冷たさでもって応えてくれる…自販機とは「ほどよい人の気配」を通してセンサリーの一側面を提供してくれる装置なのかもしれない。一昨日あたりから始まった本格的な寒さを肌身に感じながら、そんなことを考えた。
Yutani