服飾のセンサリーデザインから考える
画像出典元:NAPSTUDIO 様 http://www.eriknap.nl/
センサリーデザイン最前線 第6回
はじめまして、ASD & ADHD MAGAZINE TENTONTOメンバーのYutaniです。今回から私も、TENTONTO webで記事を執筆することとなりました。よろしくお願いします。
今回は、服飾のセンサリーデザインについて、事例を取り上げながらお話ししたいと思います。このサイトでもセンサリーデザインとは?のコーナーで触れていますが、この世界にいる「それぞれの人」が「必要なとき」に支えになってくれるのがセンサリーデザイン、というのが私なりの解釈です。
さて、関連しそうなワードをWebで調べてみると、「自閉傾向のある人たちのため」とされる実験的なセンサリーデザインを色々と見ることができます。今回は服飾に関するセンサリーデザインの一例として、NAPSTUDIOさんの「自閉症の子供たちのための」衣服”Autistic clothing”を取り上げます。NAPSTUDIOさんはアムステルダムを拠点に活動中のデザインスタジオで、「アイデンティティー」「インテリア」「相互作用」の3つのキーワードを柱とした制作活動をしています。
http://www.eriknap.nl/Autistic-clothing
以下、私による上のページの和訳です。
自閉傾向をもつ子供たちのための衣服デザイン。
これらの服は、彼らの身体に圧力を加え、さらに感覚的な負担を正常化するためのスペースを与える。
ASDは、幅広い発達途中の障害に分類され、150人中1人の子供に発現するとされる。
自閉傾向や知的障害をもつ子供たちのふるまいや気分を改善する手助けとして、彼らの保護者が取り得る選択肢は数多くあるだろう。
そんな方法のひとつが、このお手玉スーツ(bean bag clothing)の着用だ。
お手玉スーツはどれも柔らかく、快適で、子供たちの身体全てに均等な圧力を加えることができる。
子供たちが他人を攻撃したり、自他を傷つけることを考えている恐れがあるというサインを示しているとき、彼らをなだめることができる。
「どんな人が」、「どんな時に」?
衣服は、もっとも日常的に使う道具の一つです。衣服をまとう根本的な目的は体温の調節ですが、現代社会ではそれ以上に社会的な意味合いの方が大きいのではないでしょうか。時や場合に応じて、「ふさわしい」とされる服を着ることを強要されることはよくあります。それは個人の感性を尊重し、考えるという行為とは正反対の仕組みだと、私は思います。私たちを最も強く拘束している仕組みを思考の上で取り外して、一度「それぞれの人」について考えてみる、という点に服飾のセンサリーデザインの意義があると言えます。
さて、NAPSTUDIOさんの「お手玉スーツ」に話を戻しましょう。この服は、「自閉傾向をもつ子供たちのために」デザインされたものです。上半身裸の子供がこの服を着ていることから、おそらく、この服を使う場として想定されているのは屋内でしょう。
私の周りにはASD・ADHDの子供・大人たちが何人かいますが、それぞれの人がこの服を着ている様子を想像してみても、なかなかしっくり来ません。この服を単体で着て日常生活をするのはちょっと難しそうです。この「お手玉スーツ」はデザイン対象があいまいなために、当事者の支えとして実際に使ってもらうのが難しいデザインになってしまったと私には感じられます。
「自閉傾向のある人たちは何を必要としているのか。」
この問いに対して一般解を用意するのは困難なことです。しかし、「どんな時に」という条件をおくことで、固有解を用意することはできます。例えば、このコーナーの第1回で取り上げた「ビーグル」は、「周囲の環境から自分の感覚を切り離したい時」という条件に対して「フードとスカーフ=シェルターの役割」というひとつの解を示していると言えるでしょう。「それぞれの人」の感覚の現れとして具体的な状況を仮定することで、より多くの人の支えとなるセンサリーデザインができるのではないかと思います。