ASD漫才の可能性

Adam Schwartz

画像出典元:Winnipeg Free Press 様 http://www.winnipegfreepress.com/

テントントさんがやってみたコト 第1回

ASD & ADHD MAGAZINE TENTONTO 代表のユミズ タキスです。

このコーナーでは、多くの人と感覚の違いを持って暮らす人=テントントさんのうち、感覚の違いを多くの方へ伝える活動をされている方々をご紹介していきます。

第1回はカナダのマニトバ州ウィニペグのウィニペグ・フリー・プレスに掲載された記事をご紹介させて頂きます。

http://www.winnipegfreepress.com/arts-and-life/entertainment/arts/outsider-observations-216116791.html

私なりに和訳をしてみましたので、もし宜しければこちらもご参照下さい。

アダム・シュワルツさんはアスペルガー症候群の説明にユーモアを使う

キャロリン・べセリー 2013年7月18日

アダム・シュワルツさんが12歳のとき、彼の母親は自閉症のことを彼へ告げました。

「その時の僕の気持ち?『いいぞ!』って感じだった。」と彼は言います。「だから、試しに手で絵を描いてみたんだ。でもダメだったね。陶器も作ってみたけど、これも今一つだった。」

チャンチャン。

ジョークはさておき、このウィニペグ人27歳はアスペルガー症候群と呼ばれる高機能自閉症を持っています。それは社会性と他者との効果的なコミュニケーションの人における能力に影響を与えるDDです。

「アスピーたち」、そのような人たちはよく自分たちのことをそう言います。大きすぎる声で、もしくは物知り口調を使って。彼らの会話は延々と一方的で、そして彼らは言葉のニュアンスや社会的な規範を誤解する傾向があり、例えば嫌味をはっきりと言ったり、パーソナルスペースの概念を捉え損ねています。

「僕は極端ににぶいんだ。僕はボディランゲージや口調を読み取れない。そして僕は難度も繰り返しちゃうんだ。」シュワルツさんはウェストブロードウェイの食堂でコーヒーを飲みながら語ります。

アスペルガー症候群の人たちはとても直線的な思考をする人、と彼は説明します。「NT」(非アスピーのこと)の世界の中で対抗していくには、彼らは「ルールに従うしかない」―新しい状況へ適応することなく。

「もし私がパースナルスペースは2フィートだと言われたとして、かわいい女の子が近づいてきて僕にキスしたとしたら、僕はたぶん2フィート後ろに下がるね。」と彼は言います。

この背の高くて浅黒いシュワルツさんの言葉―彼は図書館情報学の修士号を持っています―は彼の人生がその時々のあらゆるところで控えめになるように合わせるそんな困難を見いだします。その孤独と疎外感は自殺に繋がる絶望感の発作を導いたことを、彼は認めます。

彼の社会的スキルを磨く努力により―特にどこに女性は関心を持たれるかについて―彼はそれをパフォーマンスアートに転換させました。

2年で声や言い回しのトレーニングをする役者向けのクラスを挫折した後、未来の学校の先生はスタンダップ・コメディにそれを転換しました。

「僕はいつもクラスの道化師だった、たぶん僕がすごく違ったことの代償としてね」、自由参加ナイトステージでシュワルツさんは語ります。この5年間、週に1、2回彼はパフォーマンスしてきました。彼はフリープレス主催のワッキエスト・コメディアン・コンテスト・イン・2011でファイナリストになりました。

「お笑い業界は高校時代からの歓迎されたと感じた初めての場所なんだ。」

現在、アスペルガー症候群のアウェアネスと理解のプロモーションをすること、そしてアスピーの日常をユーモアのある洞察をもって提供することのために、シュワルツさんはフリンジフェスティバルで活動を行っています。プレイハウススタジオ(ベニュー3)で7月18日から20日まで行われます。

『アスペルガーたち:社会的に順応できない人の話』は、「どのように友だちづくりでトラブルになったことがあるかや、女性と居てぞっとしたことを話すよ」、彼はポジティブで希望のあるメッセージを含むおかしな独白を交えて語ります。

アスペルガーを持っていることを否定していた年月があった、シュワルツさんは言います。彼は2つの世界がくっついているとよく感じました。つまり彼は「一般的な社会」を扱うことを病的に備え付けられたと感じたのです。彼の社会的スキルはほとんどのアスピーたちより優れていたからです。だから彼はそのコミュニティーにも本当の意味で馴染めませんでした。その代わりに、彼は彼自身で対話の取り組みを挑戦し続けられました。

「毎年僕は思ったよ、「今年は彼女が出来て有名になる年だ」って。それで僕がとにかくがんばれば、なんだって達成できる、ともね。」彼は思い出します。「僕はすごく思い込みが激しかった。―僕はNBAを目指せるって実際に思ってたから。」

最終的に、彼は自分の脳がただ多くの人と違った働きをすることを受け入れました。

「それは悪くなかったよ、それはただ違うってだけ。」彼は語ります。「僕は多くの人と違った波長を持ってることを理解したんだ。そして僕はたぶんいつでもどこでも社会的に順応できないのさ。」

「アスペルガーを持っていることは沢山の絶望の原因だったけど、今僕は自分らしい自分と居られて幸せだよ。」

私達TENTONTOのミーティングでも、笑いをテーマにすることで伝えられることがあるんじゃないかという案が出ました。TENTONTOno.2の19-20ページにはマンガコーナーと言う形で、アスペと非アスペが面白いと思うもの、その解釈をマンガと説明文という形でまとめてみました。ZINEのコーナーよりぜひご覧ください。