「アスペのための」ゲーム、チェス ③

chessmen

テントントの僕らの目が輝くもの 第14回

こんにちは、TENTONTO編集長のユミズタキスです。

ASDやADHDをもつ人たち(テントントさん)の心をウキウキさせるものをご紹介するコーナー【テントントの僕らの目が輝くもの】。前々回前回の記事に引き続き、イギリスの自閉症当事者活動家クリス・ボネーロさんのサイトautisticnotweird.comにて、チェスプレイヤーでもあるボネーロさんの”自閉症児がチェスをプレイすること”に対する熱い思いを書いた記事を日本語訳でご紹介していきます。

とても説得力のある、あなたの自閉症児がチェスを学ぶべき10の理由。本日はその3、その4を公開!

http://autisticnotweird.com/10-reasons-for-chess/

3: チェスは自信がつく、そして自己肯定感を高める

 

失職中、私は村にあるチェスクラブを初めて見つけました。私の自己肯定感をぶった切ったティーチングコースを受講し、そして(Ash Leaを含む幾つかの地元の学校の素晴らしい努力にもかかわらず)私は完全に自分の価値を失いました。
話すと長くなりますが、端的にいうと私が信じていた沢山のプロたちに失望させられたのです。

そして当時は、自分のアスペルガーのことをまだ知りませんでした。自分はなにかにつけてダメだ、バカな失敗をする自分のせいだ、ただそう思っていたのです。
 

その後チェスクラブに入り、私が生きてきたよりも長くチェスをプレイしてきた人たちに会いました。うち半分の人たちには打ち負かすチャンスが全く無かったですが、もう半分には、やってやりました。(それだけでも自己肯定感がかなり高まりました。)

クラブは年1回の大会があり、最初に参加した年は私は4位でした。その次の年はベストリーグパフォーマンス特別賞を勝ち取りました。そして今年、ついに私は初めて大会で優勝できました。

もちろん、この間私は無職で、社会不適合者で、独身でした。不安対処療法も受けていました。そして自閉症だということが判明した頃に、ようやく気持ちの平穏を手に入れられたのです。

でも誰が癒やすのでしょう?チェスの試合に勝ったことは、私が全く不要な存在でないことを思い出させてくれました。そして自分の自閉症は隠されたスーパーパワーだったことも学びました。
 

もしあなたが何もできずに負けたとしたら?そのときは試合から学ぶのです。もうひとつのチェスのいいところ、それは負けたとしても、ゲームが終わったときにはあなたはより良いプレイヤーになっているということです(自分の失敗から知見を得ようとする限り)。

 

私はチェスの試合に出たことはありませんが、ロッククライミング(ボルダリング)の試合で勝ったときには、やってきたことはまんざら無駄でなかったと感じられて、自己肯定感に貢献した気がしています。チェスではオンラインプレイでいつも遊んでいる友人に褒められたり、がんばって研究した戦法に驚かれたりするのが、たまらなく嬉しかった記憶があります。
 

4: チェスは報酬を稼ぐことを教えてくれる

 

8歳のころ、私の最大のチェスライバルは、おじのダグラスでした(話はそれるけれどスゴイ人、昔のLurpakのコマーシャルのトロンボーン奏者でした。これは本当の話で、彼のトロンボーンの生徒がコマーシャルを作るようになったからだそう)。
 

私たちは会うたびに、何回もチェスをプレイしました。そしていつも、いつも、いつも私を負かしました。彼はとにかく容赦なかったです。
 

時々は子どもに勝たせてあげて、励ましてあげる大人はよくいます。私のおじはそれよりも厳しいやり方(でもそれは効果的でした)で、私を教えるために励ましてくれました。

自分としては、当時はそこまでは思いませんでしたが、チェスボードの上での叔父の無慈悲で妥協のない姿勢に喜んでいました。彼は私に学びを強いたのです。彼がスキル向上のために教えてくれることを、私は真剣に聞きました。
 

そして12歳の時、ついに私は彼に勝ちました。私は自分が実力を培った事実を知りました。彼を打ち負かせたその日は最高の気分でした。

教える立場として、私はまったく同じ方針でやっています。キッズたちにはうまくなって私を負かしてほしいですが、絶対にそうはさせません。彼らは勝ち取るべきなのです。
 

そして彼らに教えて、幾人かは間違いなく私を負かしました。思った通りに。

6年間の最後の日に私を打ち負かした生徒もいます。小学校最後の日に、彼はついにボネーロ氏を破ったのです。

絶対的な事実は本物の勝利、事実は彼が成功に値したということ。そう知ることができるのです。

 

大学生時代に引きこもっていた頃は、チェスのオンラインプレイで小さい子(中高生が多かったです)ともよく遊んでいました。彼らにチェスを教えていって初めて本気で負けた日には、これまでちゃんと話を聞いてくれたことの感謝と、用済みになってしまった切なさとが混ざったような気持ちになったことをよく覚えています。
 
 

ボネーロさんのエモい文章、いいですね・・!次回もお楽しみに!
 
 

訳:ユミズタキス、marf