LD(学習障害)と、センサリーな音楽の話

先週からツイキャス配信で、音楽をテーマに扱うことにした。Twitterの検索機能を使って、人気曲と、その曲と合わせて聴きたい曲を紹介する番組だ。MCであるTENTONTOメンバーのYutaniは音楽にあまり関心が無いようで、この企画を立案、力説したのは私、ユミズ。毎週Yutaniと二人三脚で、今届けたい音楽を紹介していけたらと思う。これまでも何回か書いてきたが、今日も音楽とセンサリーの話をしてみたい。

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椎名林檎がアルバム制作で、曲と曲との<繋ぎ>の部分にこだわる、という話を聞いたことがある。私は昔CDプレーヤーを愛用していて、なめらかに曲同士がつながるプレイリストをパソコンで作っては、MP3をCDに焼いて聴いていた。ランダム再生など聴いてしまうと、その調和の取れていなさにオエッとなってしまうためだ。繋ぎの気持ちいいアルバムをそのまま聴きたいときにも、CDプレーヤーは役立った。

私の症状は、ひとつのLD(学習障害)なのだと思う。汚い音の繋がりを摂取してしまうと、脳の方でうまく対応できず、車に酔ったときのような強い不快感がある。色合いなんかもそうだ。耳が腐る、目が腐る、というやつだろう。音の世界で一番インパクトのある音は<無音>というが、曲と曲とのつながりに不自然に隙間が空くと、その<やかましさ>に居ても立ってもいられなくなる。自分や他人が演奏する下手クソな楽器の音も大嫌いで、音楽の授業などは不快でしか無かった。楽器も始めてはすぐ辞め、の繰り返し。傍から見ると音楽から離れればいいじゃん、と言われてもおかしくないと思う。

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とはいえ、もともと悲観主義者の自分がなんらか希望をもってここまでこれたのは、美しい音楽たちの存在のおかげでもある。Pitchforkを知ってからは、高得点群のアルバムを聴くと少なくとも嫌な気持ちにならないことを発見して随分助けられた。最高スコアが与えられた曲一覧で、百万回レベルで聴いてきたアルバムのJames Brown『Live at the Apollo』(これでTENTONTOメンバーでデザイナーの原と気が合った)や、J Dilla『Donuts』、Boards of Canada『Music Has the Right to Children』が取り上げられているのにも納得する。

コミュ障なので、こういった感覚を共有できる友だちが今のところほとんどいない悩みもある。だけれど、いずれは徹底的に<聴覚>と<希望>へ配慮した、心地よいセンサリーな曲を沢山知っていって、何らか発信していきたいと思っている。がんじがらめの生活の中、自分にとってセンサリーな音楽と出会うことは、あらゆる痛みを和らげ始めるきっかけになる、と、自分は信じている。

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センサリーな音楽は、生命維持装置みたいなものだ。適切なものを選び取る手間はあるが、効果は計り知れないものだと思う。感覚過敏の不快さ、LDでうまくいかなかった記憶で嫌気がさす以上の効果を、センサリーな音楽はもたらしてくれる。