コラム:こだわり過ぎて疲れる
先日読んだ、ASD者のこだわりに関する本(注)で、興味深い記述をみつけた。『傍から見てASD児は好きでこだわり続けているように見えるが、そうとは限らない。彼らは、こだわり過ぎてウンザリしていてもこだわりをなかなかやめられないことがあるのだ』…というような内容だった。私も狭く深く何かにハマったとき、ウンザリしてもハマり続けてしまうな、と、読んでハッとした。(ところで、Twitterでよくみる『○○(アニメ作品名)沼にハマる』、という表現も似たような感じなのだろうか)
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私がウンザリするほどハマってしまっていることというと、ASD関係について調べることだったりする。最初のころは自分の困りごとを解決するために色々調べていたのだけれど、少し楽になってきてからも今なお調べ続けている。近所の大型書店の発達障害コーナーはもちろん、看護師用のテキストにASDの記述を探し、精神医学雑誌や教育雑誌にASDの記述を探し、と、マニアックで過剰になってきた。新しい情報を得たいというより、様々な所でASDをどのような形で伝えられているのか見てみたくなってしまっているんだと思う。
「この情熱を勉強に向ければいいのに」とは思う。けれど、飼い犬に引き摺られる飼い主のように、自分のこだわりに引き摺られている。何かにこだわりはじめたときは、その熱が冷めるまで徹底的にこだわり抜いた方がはやく終わる、という経験則に従ってそうしていた節もあるけれど、熱がやっと冷め始めてくるころには3年が経っていた。
毎日Googleのニュース検索に[発達障害]と打ち込んで最新ニュースをチェックし、本屋に寄って発達障害コーナーの最新の書籍をチェックする。これでも割く時間はだいぶ減って、興味の対象は読書やゲームなどの趣味に少しずつ分散してきている。それと、ASD関係の本を読むのに使うエネルギーを、やっと勉強用の本に向けられるようになった。今私は遅れを取り戻すように、必死で勉強の本を読んでいる。…今考えると、カウンセラーに相談してもよかったのかもしれない。
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この経験自体は、何かについて調べ抜いて考え抜いた経験として、人生の糧にしたいと思っている。また、このことで蓄えたASD関係の知識も、TENTONTOでの活動を通して活かしていきたい、と思うようになった。でも結局、このウンザリしてもハマり続けてしまうこと自体への効果的な対処法は、まだ思いついていない。この「飽きるまで徹底的にこだわり抜く」という方法の他に、何かあるだろうか。また人と話し合ってみたいテーマだ。
ボル箱
注:白石雅一著『自閉症スペクトラムとこだわり行動への対処法』東京書籍,2013