約束を守れずに、心落ち着かない

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CHILLれぬ日々を過ごす 第12回

みなさんこんにちは、TENTONTO編集長のユミズタキスです。”発達障害当事者の日常”をテーマに、リラックス出来ないASD(自閉症スペクトラム)&ADHD(注意欠陥性・多動性)のココロを描くこのコーナー。今日はみなさんに「約束を守れずにチルれない」というテーマで、お話をしたいと思います。

いろんなところで何らか約束ごとをせざるを得ないのが、普通の暮らしというものでしょう。それこそ大人になる前から、これを守ったらご褒美でこれをあげる、といった関係性の見えやすい約束から、ジョーシキでしょとそれについて深く話すことが避けられるような暗黙の了解、はたまた惚れた腫れたの人の心の(?)部分の約束まで、様々あると思います。

そういえば私が小学校低学年のころ、学校ではミサンガが流行っていて、私も同級生の異性からもらったことがあります。当時から人のベタベタした感じが苦手だった私は、その手編みであろうミサンガを、かなりおどろおどろしいものに感じてしまいました。隠し事が下手なこともあり、親に冷やかされるのもうんざり、またゴミ箱に捨てるのも約束に答えを出してしまったようで恐ろしく、教室外のロッカーの上の方の、物がごちゃっと置いてあるところに混ぜ込んで、無かったことにしてしまった記憶があります。心無いとお思いかもしれませんが、私にものっぴきならない心があってそういう行動に出た、と考えていただけはしませんでしょうか。

約束とは一種の征服行為、しかも約束を結びたがる人間の常識が大前提としてあるものなので、相手の感覚の違いだとか、もっと言えば相手の立場に立ってという基本的なことすらなされていないことも往々にしてあるものだと思います。講和条約のように双方の落とし所を見つけようとして作られた約束ならともかく、一般には想定外のことを想定外とした上での、あくまで手前本位の約束であることが多く、それらの約束を騙し騙し引き受けあっているのが、人の営みの本当のところだと思います。

こと言葉に対して実直で、また責任感や集中力もある発達障害当事者の中には、自分と異なる感覚から自然と生み出された約束に真摯に向き合おうとして、擦り切れてしまう人もいると思います。私もそのひとりですし、TENTONTOのメンバーと話し合っていても、そう感じることがよくあります。どこまで求められるものを叶えられて、どこからは無理なのか。やってみないとわからないことも実際は多いと思いますし、生理的に不可能なことだってあります。

昨日TENTONTOメンバー・marfのアンコール記事にもありましたが、遅刻について厳しすぎる日本のジョーシキも、発達障害の当事者を苦しめるひとつの約束の例だと思います。そう考えると発達障害の当事者が常識的に生きていくためには、むしろある程度常識外れの場所へ向かっていくしかないんじゃないか。そんなことを、活動を続けて考えるようになってきています。

ユミズタキス