本物の音楽こそが、センサリーなのかもしれない
CHILLれぬ日々を過ごす 第17回
みなさんこんにちは、TENTONTO編集長のユミズタキスです。発達障害当事者の日常をテーマに、リラックス出来ないASD(自閉症スペクトラム)&ADHD(注意欠陥性・多動性)のココロを描くこのコーナー。これまでも津々浦々についてお話してきましたが、今日はみなさんに「音楽のせいでチルれない」というテーマで、お話をしたいと思います。
音楽とは一体どんなものでしょうか。流行りの曲を聴いて乗り遅れないようにしたり、当時の曲を聴いて懐かしむためのものだという意見は多数派だと思います。常識的に生きていればそういった性質の音楽は触れ合う機会の多いものですので、常識的な生き方を丸ごと美化するのであれば、必然音楽もそのような意識で捉えられるのだろうなと思います。しかし、私はこういった意見に賛同できません。
スーパーで買い物をしていると、流行りの曲や懐メロをピアノアレンジしたものがエンドレスでかかっていることがよくあります。コンビニに行くと、ラジオでアイドルが自身の曲を紹介していたりします。家電屋に行けば、耳に残るフレーズの曲が延々と再生されています。これらの演出は商品の販売促進に繋がるということで行われているものですが、私のような過敏な性質の人間には、気分の悪さしか生んでいません。
そんな私は気がつけば、Pitchforkの虜になっていました。Pitchfork。”The Most Trusted Voice in Music.”を標語に掲げているのは、伊達ではありません。このwebサイトには最新の曲に10.0点満点で血も涙も無いスコアリングがされ、プロの目からみた評価がつらつらとまとまっています。8.5点以上であればBEST NEW MUSICにまとまっていく仕組みです。有名なアーティストでも、アルバムによってはボロボロの評点がついていることもままありますし、マニアックな出自であっても、光るものには高得点がついていることもよくあります。
それら高得点の曲を聴いてみれば、おお・・、なんだこれは・・!となること請け合い。ああ、コツコツとジャケットを見て、良さそうなのを選んでいた中高生の頃の無駄な苦労。ひとつひとつ出会ってきたこれは間違いない、というアルバムが、9.0点や10.0点のところにズラッとまとまっています。知るにつけ聴くにつけ、これはもう音楽で困ることは無いな、と感じ入ってしまうセレクションです。
いや言い過ぎました。困りはします。日本の流行り歌は評価のレベルに達していないのでほとんど載っていませんし、好きになるアーティストが日本に来ることもごく稀です。詳しくなればなるほど、日本で住むにあたっての一般的な共感の下地はさらに薄れていくことでしょう。ただ、外に出れば不快な音や音楽でジャブジャブと乱暴に洗われざるを得ない中、自分を見失わないためには必要不可欠な存在にはなりえます。Last.fmを使えば、そんなマニアックなチョイスで曲を聴いている世界中の少数派の仲間が、特にどの曲が好きか、なんてこともわかります。さびしくありません。
そう、つまりこういう風にして選んで聴く音楽って、センサリーな存在なんです。ヒーリングミュージックなんてちゃちなものではありません。少し調べるだけで、まぎれもない本物が手に入りますし、その中から自分に合ったものを選べます。そのことの、なんと素晴らしいことか。
ネット上の発達障害あるあるで一通り共感し終えたあと、私達当事者が次にしたいことは、自分の傾向の場合だとどういうものが好ましいのだろうと考えること。音楽は、特にPitchforkは、ある意味ではその助けにもなってくれる存在だと、私は思います。