発達障害者にセンサリーはどうして必要か ― 思うところを正直に書く人として ①

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こんにちは、発達障害とセンサリーデザインについての冊子を発行してきた団体TENTONTOで代表をしております、ユミズタキスです。

2014年からこの活動を始めて今年で6年目、いよいよ日本の発達障害関連のニュースにて「センサリー」という言葉が聞かれるようになりました(→Jリーグ川崎フロンターレ、等々力競技場にセンサリールームを設置)。耳馴染みのないこのカタカナ語、活動を始めた当初は日本語で検索しても、ほとんどヒットすることのないワードでした。ヒットしたとしても官能検査と呼ばれる科学的手法を用いた研究の内容であったり、五感を刺激することに関するマーケティングの手法についてや、高級ホテルの快適さを伝えるためのカタカナ修飾語の中のひとつであったり、というもので、発達障害に関連した情報はありませんでした。

大人になって発達障害の診断を受けた自分が、これまでの自分とこれからの自分を一貫させるような何かをしたい、そのような何かをしている人になりたいと考えたとき、そのひとつに「大事だと思うことを大事だと言う人になる」、というものがありました。言葉にならない自分の思うことを、たくさん調べものをして言葉にすることがとても好きなタイプのASD者の私。sensoryというキーワードを全英自閉症協会が使っているのを知って、「発達障害について伝えるべき大事なことだ!」と強く思ったことが活動のはじめでした。


 最初は拙い英語力でもって一文一文翻訳して内容を理解するところからはじめ、それを日本語で紹介していきました。デザインに強いメンバーが集まったので、デザインの切り口で真正面からセンサリーについて考え、話し合い、冊子やプロダクトという形にすることで、語りはじめることができました。海外の活動家を取材する中で、興味を持っていただけて取材される中で、人との出会いがあり、その都度発達障害とセンサリーについての考えを深めてきました。

そして、多くの発達障害啓蒙活動家、特に自閉症スペクトラム障害の特性について考え行動する人々が直面してきたであろう、共同主観的な認識に由来する、多くの定型発達者、そしてBAPを含むグレー者がASDの特性を理解し受容することが大変困難であることを、私も経験しました。経験するその度に、「大事だと思うことを大事だと言う」ための言葉選び、そして大事だと思うそのものについても、本を読み、これまでより広い範囲の学問を調べて学び、ニュースを見て考える時間が増えました。

さらに時代は今、『サピエンス全史』を書いた歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリ氏が指摘するような、科学技術による革命の巨大な分岐点にあるのではないか、と、私も考えています。デザイナーベビーが作られ、AIによって人の価値がくまなく管理されうる世界の急速な到来は、倫理的な問題がより重要になることは疑いはないと思います。そんな激動の時代に、発達障害、センサリーといった大事なことは、どのような意味を持ってくるのか。なけなしの責任感ですが、学び、伝える活動をする人間のひとりとして、真摯にそのことも含めて考え続けてきました。

とはいえ、考えて黙りこくり、臆病になってばかりもいられません。自分が紡げるような言葉、行為を紡ぐ、それでいいと思えるようになりました。滞っていたTENTONTOの冊子作成も再開が決まり、メンバーの中でも代表である自分から率先して、正直に思うことを恐れず伝える、を始めようと思いました。そういったことで、このような連載をはじめてみたいと思います。
 

ユミズタキス

(次回は2019/7/7の更新予定です)