発達障害者にセンサリーはどうして必要か ― 思うところを正直に書く人として ②

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さっそくですがお話をしていきたいので、まずはひとつめの前提を共有させていただきたいと思います。

それは、発達障害者は一次的に非定型なので、定型であることによる社会的恩恵を受けられない、という点になります。定型であることによる社会的恩恵を受けられないという、精神的な困難を負うのが発達障害の当事者です。そのため十分なサポートが受けられない場合、発達段階に相応しくないような、たとえば、低次の防衛機制の形を取る精神を持つ場合がままありえます。その結果として、二次的な非定型の特徴を併せ持つことになり、定型であることによる社会的恩恵をより受けられない悪循環が発生します。

この悪循環を止めるためには、一次的に非定型な部分での社会的なサポートがまず必要だろう、一次的な非定型による困難は感覚のズレから生じるので、この問題に対処していこうという発想が、センサリーデザインのひとつの根拠になります。


 よくある誤解としては、発達障害者にとって心地よいセンサリーな環境が発展することは、定型発達者にとっての心地よさをも増大させることに繋がるだろう、という思いつきです。この自然な思いつきは残念ながら、発達障害者のセンサリーについて多くを調べている人間として、短絡的に過ぎると言わざるを得ません。TENTONTO内でも、活動初期には定型発達者のメンバーにこの誤解が根深くありました。とある放送局のディレクターにこの部分の誤解を解いてもらえず、結果として番組につながらなかったこともありました。

その理由として、発達障害者の一次的な非定型による感覚のズレは定型発達者の考えるものより程度が大きく、定型発達者が想像できないからこそ、現状の発達障害者が困難を抱える社会構造になっているという実情があります。一次的な非定型であることの困難を解決するセンサリーデザインの問題意識を、そのような分かりやすいが不確かな価値にすり替えたところで、勘違いが判明するまでの一時的な投資しか見込めないでしょう。

センサリーデザインの価値はもっと別のところにあり、その価値をもってして社会全体の利益のために投資されることが望まれます。初のセンサリールームが施工されたこれからの日本社会において、この点は重要な意味を持ちます。

もちろん、実用主義的な観点で、特定の業務に従事する定型発達者、グレー者に有効なデザインが生まれることもあるでしょう。発達障害者の一次的な非定型の問題を解決するというコンセプトから生まれたものではありませんが、パナソニック発のウェアラブルデバイス「WEAR SPACE」は、集中してPC作業を行いたいプログラマーやデザイナーや文筆家、そして注意が散漫になりやすいADHDの傾向がある発達障害者に大きなメリットのあるセンサリーデザインです。

とはいえ、「WEAR SPACE」が世の中に広く紹介された際の世界中の人々を巻き込んだ賛否両論が雄弁に語るように、あくまで特定の人たち向けであり、その特定の人たち向けのデザインが広く受容されることについては、また別に問題が存在していることを、まずは理解していただきたいです。
 

発達障害の当事者にとっては、少し考えれば当然というか、感覚的にひどい程度の不快さをもって暮らし、その状態に気を取られたまま考え行動している自らの現状へデメリットを想像しやすいのですが、定型発達者、グレー者にとってはあまりに想像の及ばないことのようだ、ということが、活動を続けてわかってきたことのひとつです。

今後は、センサリールームの「異様な環境」「異様な光景」をもってして定型発達者、グレー者へ理解されるものもあると思いますし、視覚的な情報からでは語られない、発達障害者の精神的な自由に関する理解と受容も、併せて深めていってもらえることを、これからの日本社会で暮らすひとりひとりに、私は望みたいです。
 

ユミズタキス

(次回は2019/7/14の更新予定です)