コラム:センサリーデザインにおける優先順位の話

 
センサリーデザイン(一人ひとりの感覚に寄り添うデザイン)を発達障害の当事者として考えるとき、重要な観点として、「その人の感覚における適切な優先順位をつける」必要があると思います。自分自身の感覚を通じて、簡単に文章にしてみます。
 
 
私自身の感覚に関しては、フリークライミングというエクストリームスポーツをやってきた人間なので、一般的な感覚でいう安心・安全よりも「安心・安全によって退屈にされやすいような面白い感覚体験を好む」という傾向があると思います。
ただし、個人的にはスリルそのものを楽しんでいるというよりも、安心・安全化(退屈化)されていない生・原液の要素の持つ味わいを楽しんでいるのではないかと考えています。
クライミングであればレアな身体操作感覚を味わえることが最も重要で、その意味では楽しい壁・岩を登るということは、「未知の体操競技器具」を物色する感覚に近いです。
なんとなく美食家と通じるところがあると感じています。
 
 
優先順位として最も高い位置に「ユニークな身体操作感覚を得られること」が置かれており、「安心・安全に配慮」の度合いは低くなるので、そのぶんのリスクを自己責任で負う必要はある、と考えています。
ただしスリルそのものを目的としているわけではないので、ユニークな身体操作感覚を味わうのを阻害するようなスリルはクライミングにおいて追求してきませんでした。
逆に、スリルによる体のこわばりが身体操作感覚のユニークさを引き上げるようなケースは、喜んでそれを受け容れるということもしてきました。
 
 
センサリールームにおける様々なセンサリーグッズ(多くは美しい光の照明による視覚刺激や、落ち着くような手触りの触覚刺激、包まれているような感覚といった深部感覚刺激を与えるもの)は、今、クライミングにおいて述べたような体験と近いものを提供するものとして当事者を心地よくさせている面も大きい、と、いち当事者として感じています。
不快な感覚であふれる現実世界とは異なる、ハッとさせるような感覚が、当事者にとって苦しみからくる呻きを止める体験となるわけです。
センサリーグッズは、もちろん類人猿的な(母猿に抱きついているような)安心・安全の感覚を呼び覚ますという要素もあるでしょうが、ここで述べたような当事者の美食家的な要素が関係しているとも感じます。
 
 
翻って、自分自身の感覚について分析的に思考を巡らせるということ自体を、真剣に行なっている人があまり多くないようにも感じています。
センサリーデザインのある社会は、すべての人が(ツールの助けを借りつつも)自分自身で、自分自身の感覚における優先順位をつけられる社会である、とも言えるでしょう。
デザイナーの作りっぱなしのデザインでは、それは完成しません。
デザイナー自身、障害を抱える当事者自身が、積極的に自分の感覚について分析・研究を進めることで、相互理解のもとに形成されていくデザインが、センサリーデザインだと考えています。
 
 
ユミズタキス