コラム:がんばったで賞とがんばっちゃう私

「がんばったで賞」を、もらったことがありますか。私は小学校低学年の頃にもらった記憶があります。成果よりも過程を大事にするタイプの人たちが発明しそうなこの賞は、あえて発明しなければならないほど、世の中にはありふれていないもののひとつです。ふつう、がんばったから即ち成果につながることは、なかなかありません。

何かにつけて熱心に取り組む人を「がんばり屋」と言いますが、私は昔からよくそう言われてきました。そう望んでなっているのなら良いのですが、実は私のがんばりは強い精神力に支えられたものではなく、自閉症スペクトラム(アスペルガー)の傾向から勝手になってしまうものでした。生まれつきの集中しすぎてしまう、そして強迫的に完璧を求めてしまう自身の性質に振り回される形で、しばしばがんばらざるを得なくなります。「がんばり屋」とはよく言ったもので、がんばりを売ったり買ったりして生計を立て(他者からの評価を貰わ)ざるを得なくなってしまうところが、これまでを振り返るとよくありました。

私見では、がんばること・ひと・ものを嫌う人はとても多いと思います。必死になって取り組む、という言葉にも「死」が入っていますし、がんばることは生物としての摂理に反しているからでしょう。さまざまな神話でも、がんばる人は英雄化・神格化されてきましたが、そのような人を英雄・神とすることは、必然その行為に人らしさを感じない畏怖の念もこもっていると感じます。

私はそのような精神的な「がんばったで賞」には根性論と差別意識が混ざったような非効率さを感じて心が冷たくなってしまうのですが、ひとつこれはいい!という「がんばったで賞」を見つけたので、それをご紹介して今日は筆を置きたいと思います。その「がんばったで賞」とは、運動後に飲むプロテイン。がんばって体を動かしたあとプロテインを飲むと、面白いほどにがんばって動かしたところに筋肉がつきます。ロールプレイングゲームのレベル上げのように、がんばりと成果が直接結びつくのを感じるのでわくわくします。筋トレにハマる人はアスペっぽいのかもな、と思いつつ、シェイカーをがんばって振ってプロテインを溶かす私でした。

ユミズ タキス