コラム:「アスペには見えないね」への答え

「人々はそれを欲するところのそれを信じる」という言葉があります。『ガリア戦記』でのカエサルの言葉らしいですが、「人は見たいように見る」と思ったり感じたりすること、私には多くあります。そんな局面のひとつが、私がアスペだと伝えたあと、相手が言葉を投げ返す場面、例えば「アスペには見えないね」という言葉を聞いたときです。

私はアスペなので、マルチタスクができず手が遅れて考えすぎだと言われたり、人の表情や文脈が読めないので人の地雷を踏み抜いたりします。またADHDも併せ持っている(アスペの7割はこのタイプ)ので、ものをうっかり落として割ったり、失くしたりといった場面で冷ややかな目をされるか、「落ち着け落ち着け、なんで再三言っているのに落ち着かないんだ」と怒鳴られることが多いです。アスペとADHDの重なった部分では、極端に汚い字で大量にメモを取るので馬鹿にされたり気味悪がられたりします。

自身の分析ではこれだけアスペらしい行動を取っているのですが、交通事故に会うまでや大震災が起こるまでは無いものと同じと思って過ごすことと似ていて、相手も私にミスがなければ気がつきませんし、相手に期待するタイプの人は、まさにカエサルの言葉通り初めはミスをスルーして信じたいように私を見ます。そして私のアスペ+ADHDらしい不器用なところでもあるのですが、「アスペには見えないね」の言葉を言葉通りに捉えて、この人はどういう人をアスペに見えると思っているのだろう、と、自身がどう見られているかということよりも、相手の思想のバックボーンに思考が散っていってしまうため、ともすると「ああ、そうですか。」としか口では言えないといった事態になります。

説明責任、なんてお固くならなくてもいいにしろ、「アスペには見えないね」には、「アスペもいろいろですけど、私みたいなタイプのアスペもこの機会に知って下さい。」と、私というアスペを一番良く知る私から、率先して言っていきたいものです。

ユミズ タキス