コラム:ギリギリじゃないと僕ダメなんだよ

朝起きてから夜寝るまで、時計の針に急き立てられてしまう。ASD、ADHDの当事者にとって、時間の管理ほど頭を悩ませるものは無いのかもしれません。

ASD者は視野の狭さ由来の過集中によって、時間通りに動くのが難しいです。物事を取り組み始めてから終わるまでが一繋がりになっているので、一旦やめてしまうとまた調子が出てくるまでに時間がかかってしまいます。ですのでついつい一気にやろうとして、思ったよりも時間がかかる仕事だったときに困ってしまいます。

ADHD者は注意欠陥によって、これまたタイムスケジュールが狂ってしまいます。ついさっき思い出したこと、たったいま思いついたこと。そんな小さなアイデアを頭に留めておくのが煩わしくて、すぐ終わるからと試し始めてしまいます。これが時間を食ってしまって、塵も積もれば沢山の時間を消費してしまいます。

私はASDとADHDのオーバーラップ型なので、両方の性質が裏目に出たときに大変なことになります。頭を回して色々と考えているのに仕事が前に進まない。時間を気にして焦ってしまい、さらなるケアレスミスが続いてしまう。こうなると混乱して気分も悪くなってくるので、いよいよ手がつけられなくなり、最悪頭がフリーズ、緩慢な動きで挙動不審を繰り返す事態に陥ります。

実は、ひとりでいるときよりも他の誰かがいるとき、つまり社会的な活動の場でよくこうなりがちです。それはASD者の苦手なマルチタスクの状況に陥りやすいためです。自分の回りにいる定型発達の人からの指示や意見について、その意図をなんとか汲み取ろうとするのは大変な労力です。違うことをやって怒鳴られたり、バカにされたりしたことによる気分の悪さも、私のパフォーマンスを下げます。

それでも、そんな自分の性質を矯正しようとは、今のところ感じていません。

逆にひとりでいるときは、毎日続けていることであれば、なんとかしのげることが多いです。大学在学中から課題の締め切りに追われることはしょっちゅうでしたが、ストレスを良い方向に働かせてパフォーマンスを上げられてもいました。つまり火事場の馬鹿力。「ものづくり」や「試験」においては、計画して淡々とこなすことも評価されますが、深い洞察や高い集中力にも同じくらい価値を見出してもらえます。

私は全てのことが人と同じように(同じ速さで、同じ質で、同じ理解のもとに)できるようになることを目指してきませんでした。それは自分の洞察力や集中力の成果をある程度評価してきてもらえたからだと思いますし、その評価の得られる場が、けして限定された場所(学生限定、新入社員限定、趣味限定)のみとは思えないからです。いい仕事をするために、いい仕事をしたいから、私は悩みの種でもある時間のことも、割とおおらかに考えています。

だから私も、ギリギリじゃないと僕ダメなんです。

ユミズ タキス