コラム:アスペは「ないないネタ」が好き
昨日、あるあるトーラスという概念図を描いた。唐突に日常生活とは無縁の異質な表現をして、自閉的感覚の鋭い私達当事者は定型発達者(つまり発達障害を持たない多くの人)をぎょっとさせることがままある。昨日の私の作品も、そういう物体のひとつだろう。
自閉的感覚の強い人、つまりアスペは、「あるあるネタ」を理解できない傾向にある。文脈が見えない(文脈盲)ゆえに、その場で共有したい安心感(馴れ合いとも言うと思う)を読み取れないからだ。コミュニケーションの中であるあるネタが始まると、一言も発せなくなる自分がいる。自分なりに、何が「あるある」なのかについて考えてみた。
まず「あるある」の最初の「ある」を形容詞、次の「ある」を名詞と捉えた。「あるようなある」という感じに。「ある」には意図が省略されているから、それを考える。「こういうのってよく見かけるよね!それを取り上げるなんて、上手いこと言うね!」というのが「あるある」だと思うから、つまり「既視感がある」ということなのだろう。「既視感のある既視のもの」を好む、と、一度解釈してみる。
翻って、アスペはウンチクが大好きだ。知らないことであれば、何でも神妙な面持ちで耳を傾け、記憶に留めようとする。他ならぬ私がそうだ。それは「知らない」を知ることで、雪だるまのように自分の世界が広がっていく感じがするからだ、と思う。視野の狭さが関係しているのかもしれない。ともかく、このことは「あるある」と対比できるかもしれない。そんな仮説のもとに、アスペは「ないないネタ」が好き、と、考えてみる。何が「ない」のか。知らないということだから、「未知な未知のもの」を好む、と解釈してみる。つまり、見たことも聞いたこともないというものに惹かれるということだ。
ここまで考えて、ふと新たな可能性を考えた。形容詞と名詞の組み合わせを考えると、「あるようなない」「ないようなある」だってあるはずだ。それってなんだろう。
「あるようなない」、つまり「既視感のある未知のもの」を好む人がいる、と考えてみる。それは、見たことがあるようなものなんだけど、よくよくみるとヘン、というようなものなのだろう。この話をマイクラをやりながらTENTONTOのメンバーのYutaniくんに話すと、「僕が好きなものと似てますね。」とのこと。バップのYutaniくんはマニアックなものはあんまり好きな感じがしないけど、私からみると「なんか変」にすごく価値を置いている気がする。
「ないようなある」、これは「未知な既視のもの」ということだろう。フッとそれって「ウワサ」なんじゃないか、と思った。「○丁目の☓☓さんの奥さんたら、□□をしてるらしいわよ」なんて主婦トークが思い出されたのだ。ファッションショーなんかのきらびやかで不思議な造形の洋服にも、同じような美学を感じる。知ってる人やものなんだけれど、これまでにない情報を好む。そういうひとも、いるのではないか。
「あるある」「あるない」「ないない」「ないある」。この四パターンがなんだかつながっているような気がした。何が好きって思うときの核のところが違う人達がいるんだけど、それはイイと思うものが”ズレている”だけで、形としては同じなのかもしれない。位相同型というトポロジーの用語が浮かんで、ああ、トーラス(円環)になっているんだな、と思った。ドーナツ型のある場所がその人のスタンダードで、離れると理解が難しくなって、反対側になるととにかく異質に感じてしまう。そんなモデルが描けたので、絵に描き起こしたのが昨日の概念図だ。
自閉的感覚は誰もが多かれ少なかれ持っていて、その量が違うだけ、という最新の研究がある。もしかしたら、何のネタで盛り上がれるのか、といった一見関連性の見いだせないようなものも、単なる共感を超えて、実は深いところで繋がってるのかもしれない。
ユミズタキス