支離滅裂の構造―正直さと好奇心が暴れるとき

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CHILLれぬ日々を過ごす 第9回

みなさんこんにちは、TENTONTO編集長のタキスです。”発達障害当事者の日常”をテーマに、リラックス出来ないASD(自閉症スペクトラム)&ADHD(注意欠陥性・多動性)のココロを描くこのコーナー。今日はみなさんに「支離滅裂になりがちでチルれない」というテーマで、お話をしたいと思います。

昨日お伝えした通り、ここ最近の私たちは予定より一ヶ月遅れのフリーペーパー入稿に追われる日々でした。余裕をもって行動できない私のせいで、当サイトの記事も作りおきが早々に尽きてしまい、即興的で説明不足な内容ばかりになってしまったこと、反省しております。

改めてこの一ヶ月の記事を見直してみると、残念ながら一見してなにか「軸」のあるサイトには思えない、散り散りの内容に見えます。それでもなお、注意深く各記事の共通点を見出してみると、「正直さ」と「好奇心」という、ASDとADHDそれぞれの特徴をよく表していることに気が付かされます。そのまま、ASD&ADHD当事者の私の脳の中のようです。ぱっと見ではwebサイトとしての長所しかないように思われる2つの特徴、これについて少し掘り下げて説明してみます。

「正」も「直」も直線と直角だらけの、まさに四角四面なことば、「正直」。記事の中にままみられる、ひどく真面目で堅苦しい表現は、ASD者の思考回路が「情緒」より「システム」に傾倒していることに由来しています。この正直さが定型発達の方にとって「しんどさ」に変わること、それが当事者にとっては当たり前のことではありません。その「しんどさ」に得てして鈍感なのが、一般的なASD者なのです。配慮して校正する時間が十分に取れないと、読みにくく、わかりづらい文章やイラストがどんどん出来上がってしまいます。

「好奇」ということばの据わりの悪さは、ただごとではありません。記事作成はメンバーで協力して校正を行なっていますが、記事の入稿が迫っていても、Twitterなどで得た最新情報、ネットサーフィン中に見つけたおもしろ動画、ふと思い出したフレーズの元ネタなどなど、「全然関係ないんですけど」「脱線するんですけど」と、ADHDを持つ同士では一休みが止まらなくなることも多いです。記事のネタになる良い情報がゲットできるというメリットも有りますが、それを読者の方向けにお伝えできる形によく咀嚼する余裕まで使いきってしまうと、説明不足が目立った記事になってしまいます。

もちろん、多忙を極めたために通常ではありえないような仕上がりのものが出来上がることは、障害のあるなしにかかわらず、創作の現場でよくあることです。当事者活動でそのような状況になれば、ありえないような仕上がりに加えて、「症状」の原液による意図しないシミが付いたように、なってしまいます。読者の皆様にとっては単に支離滅裂なものをお見せすることになりますし、そのことに当事者たち自身もこころからは喜べません。

しかし、失敗したことで見えてきた、この記事に書き出させていただいた現状や、今の私のなんとかしたいという気持ち。こういったものを糧にして、ほんとうに必要なセンサリーデザインが生まれてくるのだと思います。