就活 ―ガンバリを評価されちゃって―
四月、就活シーズン真っ盛り。電車の中に学生さんであろう、着慣れていないスーツ姿の人達をたくさん見かける季節です。ASDとADHDをもつ私も、かつていわゆるまっとうな就活をしたことがあります。
このサイトでも度々お伝えしている通り、この頃の私は極度のガンバリ屋でした。ガンバルことでメキメキと自分に力がついてくるのを喜ぶ、単純な性格をしていました。
エクセルでガチガチにスケジュールを組み、企業の案内を毎日チェックしながらESを書き、部屋をやる気ワードの張り紙だらけにして、それこそ必死に取り組みました。
うっかりが命取りであることはゲーマーの勘でわかりましたので、そこで苦渋を呑まないためひたすら時間をかけて何回も確認し、一社一社の書類を仕上げました。
ハッタリを効かせるための学生時代の成果物をまとめたり、足りないものは最低限土俵に立てるだけの内容をつくったり。競争が好きなタチなので、ゲーム感覚で取り組む苦しさはそれほどありませんでした。
でも、なんで就活をやっているか。これまでの進学のための向学心とは、努力の方向性が違うことを認識できていませんでした。とりあえず食いっぱぐれたくないな。これまでやってきたことが無駄にならないところがいいな。
今から考えると、若さに加えてASD的”想像力の欠如”も丸出しのふわふわすぎる目的意識でしたが、この後そのツケがしっかりと回ってきます。
就活は成功したかのように見えました。同期の中でも一番に決まり、他人に話すと「これまでやってきたことが活かせる会社だね!」と褒められるようなところに決まりました。
勝つための麗句をおさえて話し(これは当時も大変なストレスでした)、かつ自分のやってきたことを熱く語った(ASD的な至福の時間です)上で、評価してもらえ内定が決まった会社。
就活終わり。残り少ない学生生活で、入ってから必要そうな語学を学びつつ、自分の研究やり切るぞ。そんな上昇志向の気持ちで、この後はとても充実した学生生活が待っていました。
そして入社。エリート的な扱いで比較的特別待遇の緩さもありましたが、それでも期待の大きいぶんだけシゴキは厳しかったです。目の端には気楽に羽を伸ばして会社に馴染んでいる同期たちも映ります。
ASD者の困難なマルチタスクだらけの仕事を、数えきれないほどやらされました。自分のやってきたことを熱く語って入社したのだから、それだけを仕事にできるとヌボーッと考えていたことにやっと気が付きます。
だいぶやつれましたし、ADHDの発動で迷惑かけるわけにはイカンと、朝はパニックになりながら起きて出社していました。それでも鈍感かつ慎重なところがあるので、最初はこんなもんよ、様子を見ようなんて考えていました。
さてやっと希望の部署に配属されて、さっそく色々やらせてもらえるのかと思いきや、やらされたのは新人の通る道とされていた庶務でした。ストレスの高い環境で電話が致命的にできない(相手の言うことを覚えられない)自分にヤキモキしました。
もっとヤキモキしたのは”上下関係の確かめ”を重視する職場だったので、庶務と合わせていつまでたっても自分のやることに過集中になれません。”上下関係の確かめ”でこんなに仕事ができなくなるなんて。
どんどんとやることを増やされるにつれ、自分を繕うのにかけるコストが減り、しぐさが”ロボティック”になっていきます。このあたりで就活のときの見通しの甘さに気が付きます。3年後にこうなる状況、想像できていませんでした。
今、当時の就活の資料を見返すと、「大変不器用なガンバリ屋」のつくったものに見えます。就活のときには、「この人は不器用だけど、大変ガンバッてくれそうだな」と思って採用されたのだと思います。
自分としては”器用になり得ないのでガンバッたところ”を評価してもらえたつもりでも、会社からすれば”これだけガンバッてくれるなら器用になり得る”と評価されていた。そんなズレがありました。
ASDとADHDだからこそでき得ないことを自分でも把握しきれていなかったし、人に伝えるなんてもっとできなかった。見通しも甘すぎた。私のひとつの大きな失敗経験でしたが、そこから得るものは大きかったです。
ユミズタキス
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