コラム:『クロージング』を眺める②

先日のコラム「『クロージング』を眺める」で、僕が心惹かれる魅力的な「クロージング映像」について書いた。ローカルなクロージング映像の中には、地域の伝統行事や名所、テレビ局が利用している電波塔などが映ることが多い、と書いたが、「地域に人々の生活が根付いていること」も感じられて、僕はこれが大変好きなのだ。

前回のコラムを書いたきっかけが、更新した日の前夜、編集長タキスとのSkype通話だった。TENTONTOwebことなどについて話しつつ、いつもの通り、お互いの好きなもの、興味の向いているものを取り止めもなく投げ合うやり取りをしていた。その時に、僕が「クロージング映像」の話を持ち出したところ、「クロージングって何?」とタキスさんが尋ねてきた。そのような映像は見たことがないという。テレビ局のクロージング映像というのは広く知られていて、その通称としての「クロージング」も一般的なものだと認識していたから、これには驚いた。

早速、Youtubeにある実際の「クロージング映像」をタキスさんに見せてみた。「今まさに、これまで一切触れたことのないものを見ているから、どう答えたらいいか考えてしまうな」とのことだった。「小学生くらいのときから、これを見るのが好きでしたね」という話を重ねてしたところ、随分驚いていた様子だった。「それは筋金入りの『好き』だね。ぜひ記事に書こうよ!」と言われ、前回の記事を書くに至った次第である。

さて、そのときに前述の「電波塔の映像から、人々の生活を感じられるのが好きだ」ということも話したのだが、これについては「俺と真逆だね」との感想だった。「むしろ、『電波塔がない』方が嬉しい気持ちになる」とのことだ。そのときタキスさんが引き合いに出したのは、数年前、旅行先のトルコでトゥズ湖という塩湖を見たという話だった(下の写真)。塩湖の表面が美しく輝き、辺りには人間がつくった構造物は一切ない。その風景に心から感動したのだという。

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この日の夜のタキスさんとのやり取りは、僕にとって印象深いものとなった。自分にとって当たり前なことが、他人にとってそうでない驚きを改めて体感したからだ。また、BAPとASDそれぞれの「好み」にはかなり隔たりがあるのでは、とも思わされた(この『好み』は、『センサリー』とも言い換えられるだろう)。自分の趣味嗜好を理解してもらえないことは、時としてある。しかし、そのことで気を落としたり、憤慨したりすることはないと思う。むしろ、自分の好みを(たとえ、一般性に欠けたり、相手に理解しがたいものであることが予想できたとしても)正直に話してみることが、「センサリー」への糸口のひとつなのでは、と、最近は考えている。

 

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Yutani(ユタニ)
1992年生のライター&MC。自己診断AQ値は25(BAP)。
先日都内の食堂で、今年初めてのサンマの塩焼を食べた。
「チートス激辛マニア味」は、洒落にならない辛さだった。
twitterアカウントは、@kabafishing