落ち着け!~『ペルソナ4』が教えてくれた、発達障害者の役割~

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画像出典元:アトラス公式サイト https://www.atlus.co.jp/

※このコラムにはアトラスのゲーム・アニメ作品『ペルソナ4』に関するネタバレが含まれています。面白さを損なうおそれがあるため、プレイ済みの方、またはネタバレを気にしない方のみご覧ください。
 
 
アスペルガー症候群の主人公を描くラブコメディー映画『シンプル・シモン』。フリーペーパーTENTONTOno.1で取り上げ、このwebでも何度も紹介してきた作品ですが、この映画の原題(スウェーデン語のタイトル)をご存知でしょうか?

実は『宇宙に感情は存在しない(I rymden finns inga känslor)』というタイトルがついています。このタイトルの意味するところは映画をみていただくとして、アスペルガー症候群はじめ、ASD(自閉症スペクトラム障害)をもつ人々を多くの人目線で捉えたとき、感情が存在しない、と頑なになっているような印象を与えることはよくあるのではないか?と思います。

 
実際にはメルトダウンといって、幼少期には特に激しい感情の暴走をひんぱんに引き起こすASD当事者。大人になるにつれ、自立がかなえば自主的に環境を選べるため、メルトダウンの機会は減り、自閉的と呼ばれる物静かな状態が多くを占めるようになってきます。そうすると今度はメルトダウンと別の対人コミュニケーション上の問題が生じます。「コイツは人間らしい感情を持っているのか?」という多くの人側からの疑念と、「どうやら多くの人はうっとうしいほどに感情に満ちているらしい」という当事者の心理からくる厭世的な感覚といった問題です。

 
さて、当事者はメルトダウンを多く経験して成長していくので、メルトダウンによって醜態をさらすことに非常に嫌悪感があります。そのため、落ち着けるように環境を整備して、安静に思考、行動できるようにしていくことがTENTONTOで紹介している『センサリーデザイン』というわけですが、上記のような問題もあらたに表れてくることもあります。では、そんな当事者をどのようにサポートできるでしょうか?


 
 
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画像出典元:アトラス公式サイト https://www.atlus.co.jp/

当事者のひとりである私が至っている今のところのこたえとしては、そうして得た「落ち着く力」を活用する場を設けることだと思います。このような考えに至った経緯のうちのひとつに、タイトルのゲーム『ペルソナ4』をプレイした経験を思い出したことがあります。

 
このゲームの主人公は、クールで渋いが持ち味の無口キャラクターです。特殊な力に目覚めた田舎の高校生たちが連続殺人事件の犯人を追う、というのがお話の筋ですが、犯人の不可解な行動を読み解く推理小説のような要素を持っているのが特徴的です。この主人公の口癖が「落ち着け」。熱くなりやすいメンバーをまとめるためにその能力が発揮されるわけですが、お話の核心部分でもやはり、この力がもっとも命運を分けることになります。

物語の佳境では、主人公と一緒に住んでいる義理の妹がさらわれ、実行犯によって重体の状態にされてしまいます。その後容態が悪化して亡くなってしまうのですが、その女の子が殺されたことに怒ったメンバーたちが、血相を変えて実行犯のところに詰め寄ります。主人公たちは特殊な力で実行犯に復讐することができるので、メンバーたちは主人公に今ここで復讐するか否か、決断をせまります。

そのとき主人公にどんなセリフを言わせるかでゲームのエンディングが変化するのですが、もっとも「真の」犯人に迫ることができるルートの言葉はもちろん、「落ち着け!」です。わからないことがわからないままに、感情的に行動することを主人公は否定し、メンバーを強くいさめ、実行犯に丁寧に質問し、事態を把握しようとします。結果、実はその実行犯は真の犯人に濡れ衣を着せられた犠牲者のひとりだということがわかります。

 
ASD者の私からみれば、対人コミュニケーションに非常に長ける多くの人は、このゲームの主人公たちが持つような、特殊で強大な力を持っているように感じます。その力をもってして、あらぬ疑いで「復讐」しようとする、したケースは、民事・刑事事件、戦争やジェノサイドにおいていくらでもあります。また、家庭内暴力の危険性が叫ばれる昨今の日本社会ですが、悪気がなくともASD児への「落ち着いた」理解がないままに、当事者にとってつらい仕打ちをしたり、つらい環境においてしまうということもままありうることです。実際に私もそのような仕打ちを受けたひとりですし、TENTONTOメンバーの話を聞いても、ケースとしては多いのではないかと思います。

 
そもそも、人の話を聞くことは難しいことです。ASDの障害に関連しない場面でも、「マンスプレイニング」という言葉で問題提起されたような高圧的な一方向コミュニケーションによる問題、誤謬や詭弁といった、言い方や話の組み立て方に関する論理的構造の正確さの不足・心理学的な印象の操作の問題もあります。

だからこそ、「(メルトダウンの苦汁をなめてきて習得した)どんな状況でも落ち着くよう努めること」「(システム化指数SQの高さに由来する)論理的構造の正確さを重視すること」に意識を向け続けているASD者が活躍できる場面は多くあるはずです。

 
もちろん、コミュニケーションの障害を抱えるASD者が、コミュニケーションにおいて貢献することは並大抵の困難ではありません。しかし、ひとりひとりの幸せを大切にする社会について考え、議論するためにその活躍の場は広く設けられうる、人類にはそれだけの「落ち着き」が備わりうる、と私は思っています。

今後センサリーデザインによって人権(正気を脅かされない物理的環境を手に入れること)をひとつ手に入れた当事者が、このような別の人権問題(能力を活かす場がないこと)にぶつかるのは悲しいことと思いますし、センサリーデザインの普及そのものを妨げる要因ともなります。今一度、この問題について私たちは向き合う必要があると思います。

そして、そのような知見へのヒントをくれた『ペルソナ4』という創作物・創作者たちの「落ち着き」に、私は敬意を表してやみません。

 
 
ユミズタキス