落ち着いてみること―楽しく話すために

 
 
日常生活の業務のうち、私は洗濯に一番こだわる。そのこだわり方には、自分でも強迫神経症(OCD)の傾向を感じている。

例えば服に油シミがミリ単位であることに気付いてしまうと、その服を着続けることにとても抵抗を感じてしまう。生地の変色、汚れ、菌の繁殖によるにおい等に対する潔癖を、自分が持っているためである。

洗濯機で普通に洗うだけでは、どんどん襟元が黄ばんだりシミが増え広がっていく。しかし、わざわざ風呂の残り湯を使うなどするのも面倒だ。

そう思い、引っ越しの際には冷水と温水とで二つ、あらかじめ洗濯機置き場に蛇口が備え付けられている物件を選んでいる。
 

 
 
そんな私は、なにか達成感を感じるとすぐに気分が高揚しがちだ。日常業務でも、いかに手間なく効率よくこなせるルーチンにできるか考え、組み上げるのが好きだ。

洗濯についても、蛇口に短いホースを取り付けて温水を洗濯槽に溜め、高い水温でより洗浄力を発揮する酸素系の漂白剤と粉洗剤を投入、あとは普通に洗濯機を回すだけというような具合で毎日洗濯を行なっている。

可能な限り手間を減らし、かつ実際に効果が得られそうなルーチンの行える環境作りと工夫を実現できたとき、内心とてもはしゃいでしまう。
 
 
 
自分にとって嬉しかったことほど、世間話用のネタとして、頃合いを見て友人や会社の同僚に共有したくなる。知って得する生活の知恵的な耳より情報として聞いてもらいながら、おかしなこだわりを持つ自分を面白がってもらえればという思いで話す。

しかし先日、私が毎日行っている洗濯の仕方の話を嬉々として友人や同僚に披露すると、「へぇ…」といった具合に反応しづらそうな態度を取られてしまった。要するに引かれてしまった。
 
 
 
そのことについてボイスチャットで代表のユミズに話してみたら、こう言われた。

もしかしたら、洗濯について偏執的な傾向を持っていることにはしゃぐTEHOさんの様子の奇異さが目立って、相手はそれに警戒して緊張させてしまったのではないか。

そのせいで洗濯の知っ得情報や、洗濯が好きで楽しんでやっているTEHOさんのユニークなライフスタイルを面白がることなどについて、リラックスして話を聞けなかったのかもしれない、と。

そんな指摘を受け、それはそうだと納得する。自分勝手に理解しづらい話をしてはしゃぐ私を、友人や同僚たちは面倒に思いつつも無下にすることができずに、人情でかまってくれていたのかもしれない。
 
 
 
たとえば次は、「自分は心から洗濯が好きな人間でして、」から話し始めてみる。自分にとっての前提を踏まえた上で話をすることで、あるいはこの手の話題も楽しんでもらえたのかもしれない。

自分がおかしなこだわりを持っていると自覚しているのに、話を聞いてくれる相手が「よく分からないけど、仮に自分に置き換えたらこんな感じだろうか」と想像してくれるはずと思っていた。およそ通らない無茶を期待して、相手に甘えていたのだと思う。

こちらが熱を上げて喋れば喋るほど、自分と相手との温度差は広がっていくだろう、と今はわかる。高揚した気持ちを伝えたいからこそ、落ち着く必要があるのだ、と、今回の件で学んだ。
 
 
 
TEHO