センサリーエッセー:匂いを感じるのが辛いときがある

 
8月の終わりのとても暑い日に、私は引越しをした。環境の変化を一番如実に感じるのは、私にとっては匂いの変化だ。内見で初めて部屋に入ったとき、ユニットバスの扉を開けたとき、居室の押し入れを開けたとき。それぞれ違う、未経験の匂いを嗅いだときの心持ちとしては、新しい環境に住まいを移すワクワクした気持ちよりも、不安感の方が勝っていた。

ASD+ADD傾向のある私は、匂いが原因で食べられないものがあるなど、以前から自分の嗅覚の特性に気づいてはいたが、今回は引越し作業の焦燥感もあって、文字通りに「臭いものに蓋」をしてしまっていたと思う。

少しでも嗅ぎなれた感じに近付けたくて、入居開始日にドラッグストアで消臭剤を探した。6つくらいの中から、一番無難な気がした「石けんの香り」を選んで、部屋に放置してその日は帰った。一週間後、旧居の退去日。荷物を積んだ車で乗り付けて、新居のドアを開けた瞬間に、なんだか小綺麗な公衆トイレのような香りがした。消臭剤選びに失敗したと思った。
 
 
 
そうした経緯で、石けんの香りのする部屋に帰るのがなんとなく億劫になり、今はチェーンのコーヒーショップの店内でこの記事を書いている。店の中は無臭に近く、汗や人の脂の不快な匂いもしない(コーヒーに鼻を近づけたら香りを感じ取れたので、新型コロナウィルスの自覚症状だという、嗅覚の消失には当たらないと思う)。

部屋の匂いに限らず、近所にはいろいろな匂いの元がある。家から最寄り駅までの道中、湿気を纏った夏の暑い空気の中で、麺料理の店の前、牛丼屋のダクトの裏、木材を加工する作業所の前など、それぞれの匂いが立ち上がってくる。引越し作業の疲労が取れないままにそんな日々を一週間ほど続けたが、昨日あたり、かなり気疲れしてしまっている自分に気付いた。
 
 
 
そもそも今回の引越しは、賃料の低減が目的だった。けれど、自分にとっては向いていない土地に引越してしまったのかもしれないことに今になって思い至り、かえって高くついてしまったようにも感じる。ただし、従来あまり意識的でなかった自分の嗅覚のことを意識し、その感覚は疲れで過敏になるらしいことに気付けたのは、一つの発見だとは思う。

少し前に雑貨屋チェーン店で買った、アロマオイルのベルガモットの香りが今は恋しい。嗅ぐには、ダンボール箱の中から探り当てないといけない。それとも、季節も変わることだし、帰りに店に寄って別の香りを探してみようか。石けんの香りの消臭剤は、思い切って流しに捨ててしまうべきなのかもしれない。生活行為が下手な自分だが、一つ一つの要素に対応していくイメージで、少しでも自分にとって過ごしやすい住環境を構築したい。
 
 
 
Yutani