ボクシングで学ぶ「わからないは楽しい」

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画像出典元:新井英樹『シュガー』4巻200ページ・講談社

こんにちは、TENTONTOメンバーのTEHOです。日に日に秋めいてきつつあるこの頃、秋といえばスポーツということで、今回は私が最近始めたスポーツについて書いてみたいと思います。
 

 
 
編集長のタキス氏とミーティングをしていた折、自分の臆病な性格をなんとかしたい、という相談を聞いてもらっていた。すると編集長から「それならボクシングが良いと思います、自分でよければ教えましょうか」と提案してもらった(編集長はスポーツインストラクターの経験もお持ちとのこと)。

思い立ったが吉日、それ以外は凶日ということで、早速その日のうちに編集長の自宅まで電車で伺う。近くの公園で、基本的なフォームやパンチの説明などを受け実践してみる。
 
 
 
そしてかれこれ一ヶ月。編集長の指導は、一つ一つの動きの意味を理論立てて説明をしてくれるものであり、個人的にとても理解しやすくありがたい。

しかし、続けていくうちに壁にぶつかる。頭の中でフォームやパンチのしくみを理解できても、そのとおり身体を動かすために多くの課題がありそうだと編集長から指摘を受ける。

挙げてもらったいくつかの課題の中で、私がとりわけ大きな課題に感じたのは、やはり始めるきっかけになったメンタルに関係するもの。私が「運動すること自体がおっかない」と感じてしまっていることであった。
 
 
 
素早く動くのがおっかない、攻撃をするのがおっかない。運動というものが楽しいものではなく、おっかないものであるという、幼少の頃からの凝り固まった思い込みが強く作用して、技術向上の妨げになっていると感じた。この苦手意識は非常にまずい。

克服するためにあれこれと考えて調べ物をしているうちに、漫画家の新井英樹氏のTwitterアカウントに行き着く(私が新井英樹氏の描いた「SUGAR」、「RIN」というボクシング漫画を最近読んで、興味を持ったため)。そこで私はあるツイートを目にした。
 
 


 
 
好奇心、まさにこれではないかと感じる。「わからない」を楽しむことができず、「わからない」との接触が怖いから、体が萎縮してしまう。
 
 
 
これまでは、身体を外界との接触を楽しむ機関としてでなく、イビツに硬直して、メンタルを守る鎧として、ひたすら使ってきた自覚がある。

だから、人に撮ってもらった写真なり映像なりで自分の姿を確認した際、「なんで首がこんなに前に出てるんだ?」とか、「なんでこんなに肩をあげてるんだ?」と、自分の頭の中とのズレを感じていたのかもしれない、と思い返す。
 
 
 
大仰な言い方をすれば、私は外界を拒絶し、頭と身体を切り離していたから、自分がこの世界に間違いなく存在しているという実感が持てず、非合理的な思い込みによる恐怖に煽られてきたと考えられる気がする。

臆病を克服するために、外界と自分とをリンクさせ、好奇心にストップをかけないようにすること。
 
 
 
そのために、まずは心と身体を開いて、写真に写る自分の姿が不自然に見えないところを目指して、ボクシングを頑張っていけたらと思う。
 
 
 
TEHO
 
 
 
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