コラム:「勉強できるけど仕事できない」問題を考える ②

前回に引き続き、「勉強できるけど仕事できない」問題について書いてみる。「勉強しかできない奴はダメ」というフレーズが僕の心に引っ掛かる理由として、これまでに① 「勉強」と「仕事」が何を指すのかあいまい、②学歴・アスペへの差別意識の複合を挙げた。僕が考える3つ目の理由もまた、②のアスぺ的特徴への差別に通じるものだ。

③「そういうこと言うからウザいんだよ」

①、②で書いた通り、「勉強できるけど…」というフレーズ自体は当て付けで、論理的には意味をなさないものだと言える。けれど、世の中論理が全てではない。理屈は関係なく、とにかくやるべきことをやる、というのを求められることはしばしばある。まして、部活動の練習のような場で上で述べた理屈をとうとうと語ったりしたら、余計怒られるのは目に見えている。

また、当て付けめいたフレーズに関しては、口にする人自身も当て付けであることを自覚している場合も多い気がする。だから、「当て付けなんだからいちいちロンパするな」という気分になってしまうのだろう。

論理を優先しがち、一言物申したくなりがち、というのは、実際「アスペあるある」の典型だ。この2つが合わさったとき、「問題を解決するための『努力』をせず、言い訳ばかりしている」という受け取り方をされ易い。問題解決のために、筋道立てて物事を考えようとして、それを人に伝えようとして、ますます嫌われてしまう。

 

みんなで協力して実現させなければならないことというのは確かにある。それを誰かに「邪魔」されたら、腹が立つ人がいるのも当然だろう。僕も短気な方だから、その気持ちには共感できる。だけど、「勉強できるけど仕事できない」というフレーズに関しては、それを言われた方は、「仕事ができる=社会になじむことが何よりも大切で、それができない自分はダメ」という感じで、引き摺ってしまうことが多い気がする。

アスペの人は、ただでさえ言葉を額面通りに受け取りがち。アスぺの人がこうした当て付けを信じ込んでしまい、同じくアスペの人に「勉強できるけど…」のようなフレーズを使うように、もしなってしまったら。それは余りにも理不尽で、不幸なことだと思う。

「勉強できるけど仕事できない」。このフレーズを耳にしたり、言いたくなったりしたときは、ちょっと考えてみて欲しい。本質的ではない当て付けは、本質的でない形で人を苦しめてしまう場合もあるのだ。

Yutani