ハマり過ぎてアタマから離れない

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CHILLれぬ日々を過ごす 第2回

みなさんこんにちは、TENTONTO編集長のタキスです。「発達障害当事者の日常」をテーマに、リラックス出来ないアスペルガー&ADHDのココロを描くこのコーナー。今日は皆さんに、「何かにハマってチルれない」話をしようと思います。

アスペルガー=こだわりの強い人というイメージが、アスピーにはあります。この「こだわり」というワードはなかなか曲者で、曖昧にいろんな事を言えてしまうので注意が必要ですが、それでも何かに一心不乱になる姿は当事者によくみられます。

私の例を挙げてみます。前にも取り上げた、中学3年生のときになにげなく始めたロッククライミングです。これには他のスポーツにはない「非日常さ」がありました。塀や木など高いところに登ったら大人気なく見えるというか、馬鹿だなあと言われるのが関の山ですが、クライミングは凄すぎてベツモノとして好意的に捉えられる不思議さが、惹かれた要素のひとつです。

当時はまだボルダリングが流行っていなかったので、空いたジムで大学生や大人に混じって猿のように遊んでいました。コースをどうやって攻略するか考えるのが楽しくて、学校の休憩時間もずっと鉄棒にぶら下がりながら登り方を考えていました。クライミングより面白い友達がいなかったので、対人コミュニケーションよりも物言わぬ壁や岩とのコミュニケーションの方がうまくなっていきます。

授業中も国語の教科書の文字の隙間に落書きして棒人間をクライミングさせてみたり、普段から鍛えるために学生鞄を指一本で持ったりします。話しかけられてもクライミングの専門用語しか出てこなかったり、何も考えていないときにふと口にするのは「あークライミングしたい」。こういった打ち込みようは最初は気持ち悪がられますが、途中からそういうキャラとしてアリなように感じてくるようで、賞でも取ればそれなりに認めてもらえます。

しかし、本人が打ち込み自体を制御できていないことは意外と気付かれません。例えば登り過ぎて手や体がボロボロになったり(イギリスのアスペ女性ロッククライマーも同じことをおっしゃっていました)、考え過ぎて逆にぎこちなくなったり、対人関係でも「同級生」扱いされないことにストレスを感じたりします(私の場合、別にみんなと慣れ合いたくないからクライミングしているわけではありませんでした)。アスペゆえにチルれずに「自然体でない」こと、それが障害となっているのです。

ASDは時間さえあれば何かに打ち込めて幸せな一方、ADHDも合併していた場合、何かを「普通に」好きになれないというコンプレックスも抱えがちです。ハマることと好きになることは結構違うからです。「○○好き!だってチョーカワイイもん!」みたいな軽いノリで話せない。定型発達者との感覚の違いにハッと気がついて落ち込むときは、自分の好きになりかたって変わってるな、と思うからだったりします。この話は次回、お届けします。

ユミズ タキス