突飛なアイデアやってみたい―それでもいい
CHILLれぬ日々を過ごす 第8回
みなさんこんにちは、TENTONTO編集長のタキスです。”発達障害当事者の日常”をテーマに、リラックス出来ないアスペルガー&ADHDのココロを描くこのコーナー。今日はみなさんに「次から次へやりたいことをやってチルれない」というテーマで、お話をしたいと思います。
規則正しい生活が、折り目正しい生き方につながる。そんなオトナのナチュラルな思考から、私は遠い生活をしています。
学生時代から、こと思いつきで行動しやすいADHD(注意欠陥多動性障害)由来の特徴のためか、謎の「修行」を閃いては徹夜を重ねることもしばしばでした。私は周りから浮いているタイプの学問、芸術を学んでいたのですが、学び方の変さでは、同級生からもさらに浮いていました。
建築に興味が湧いた時期には、かっこいい建物を建てるためにはバランス感覚が重要なのでは?→バランスといえば積み木あそびだ!と、大きさのそろった高級積み木を一気買いして、学生寮で夜通し積み木をしたり。線を真っ直ぐ引けるのがかっこいい!と思ったときには、100円ショップで32色入りサインペンを20セットとB4のコピー用紙を買い込み、教室で脇目もふらず直線の練習をしたり。
人体を描きたいとなれば、裸婦の写真を部屋一面に貼り付けて、日常的に目で見て覚え、医学書から解剖図を山ほどコピーして、資料集を作ったりしていました。どれもこれも飽きてしまえばすぐやらなくなるのですが、思いついたことをやってみているときの愉快さに魅了されて、文字通り寝食を忘れて取り組みます。
夢中になって取り組むことによって、ボロボロになったり、格好がつかなかったりといったことがあります。さらに周りを巻き込んで成果が出なければ、それらの行動のマイナス面ばかり露呈して、大変冷ややかな視線を浴びること、恥ずかしい思いをすることも少なくありません。でも、私はそうして取り組んできたことひとつひとつから、「なんだかよくわからなくても、やろうと思えばやれる」気分をいつももらっています。
私がセンサリーデザインを知ったとき、これまでの経験はこれを「やる」ためのものなのかもしれない、と思いました。私にとってそれは「かっこいいオトナのやること」に思えたのです。いろんなかっこいいがあったっていい。多くの人からずれていたとしても、自分なりの思考で取り組んでみること、きっと価値があると思います。