コラム:見えないがうれしい

ネオンの光がにじんで溶けていくみたい

私はお日さまや青空が眩しくて苦手だ。強い光に触れると、痛くてしみる感じがする。それに自分で気がついたのは、ずいぶん視力が下がってからだった。

小さい頃はとても目が良かったので、遠くのものまで見えた。よく見えることは、得た情報をちゃんと処理できるならメリットになると思う。私の場合、見えたものを頭の中で処理するスピードが遅いからなのか、見えすぎることが恐かった。それに見てしまったもののイメージひとつひとつに心を絡めとられて、戸惑うことが多かった。だから必要なもの以外見ないようにする、という癖がついた。今考えるとちょっとさみしい癖だと思う。

視力が下がったばかりの頃は見えないことが恐くて、眼鏡やコンタクトレンズを外していると落ち着かなかった。けれどある夜、眼鏡もコンタクトレンズもつけずに近所のコンビニまで歩いていったら、それまでの認識が変わった。夜の街を照らす街灯、看板、車のライト、信号機、色々な光がにじんで見えた。私が歩くと光は尾を引いて、私の目の中で混ざり合って、なんだかとてもきれいに見えた。見えないことが恐くなくなって、ちょっと嬉しいことに変わった。

感覚が鋭すぎるということは、誰かにとってのかゆいが、ある人には痛いに感じられるようなものな気がする。誰かの感覚や気持ちをわかることなんて、私は不可能だと思っている。あくまで想像してみて、近似値を狙うくらいしかできないんじゃないかな。でも、私にはこう見えて、あなたにはどう見えるのかそれを伝えあえたら、世界に対しての観測地点を増やすことができる。私の感覚がつくっている私の世界だけど、もしあなたの見え方を少しでも知ることができるなら、私もあなたの観測地点に行ってみたいなと思う。

marf