センサリーとゲーム体験
編集長のユミズです。本日は、個人的に開発に2年間関わってきたゲーム『エヴェレット・エフェクト』が今週末に発売となるためその告知と、ゲーム体験のもつ発達当事者にとってのセンサリー(感覚的な居心地の良さ)について書かせていただきたいと思います。
編集長のユミズです。本日は、個人的に開発に2年間関わってきたゲーム『エヴェレット・エフェクト』が今週末に発売となるためその告知と、ゲーム体験のもつ発達当事者にとってのセンサリー(感覚的な居心地の良さ)について書かせていただきたいと思います。
左と右。
誰が決めたのかはわからないが、この概念によってちょっぴり苦しむ人がいる。
この症状には名前があり、”左右盲”と呼ばれているようだ。
発達障害当事者によくあるのが、自分が変わった人間だとは思っていたけれど、診断を通して「ああ、こういうタイプの人間がいて、自分はその仲間なんだ」という安心感を得ることではないでしょうか。
精神障害のひとつである発達障害。心にある障害のため見えない障害と言われたり、バイオマーカー(体を観察してはっきり医療的な診断ができる指標)が今のところ確立されていないこともあり、自分にどういう傾向があるのかを自覚、診断しづらかったりする面もあります。そんな中で、過去の行動を再検討したり、テスト受けたりしてある程度信頼できるだけの情報を集め、やっとのことで診断を受ける。その際には少なからず当事者自身にも達成感があると思うのです。
発達障害の傾向があるといっても、診断を受けずに社会で暮らす人がたくさん居るタイプの障害です。なんらかの困難は抱えていて、その解決を図る中で生活スタイルが決まっていって。独特な道を歩んでいる人たちも多いでしょう。診断後は、今度は自分の傾向を元に次からうまくいくよう生活において作戦を練り直すことになるわけですが、そのとき参考にするのは診断をもらっている人のみならず、自分が知っているちょっと変わった人を思い出して、当てはめてみたりもすると思います。
個性という言葉は難しい言葉で、自分の個性を考えることは、自分を支える何かを持っていること、客観的に自分をみすえることができたとしてもなお、孤独感にさいなまれやすいことだとも思います。自分がどんな人間かをじっくり考えていくこと。いろんな人を他人と突き放さずに、自分と似ているところを探してみること。こうやって少しずつ、自分を生きやすくさせていくことができるのではないでしょうか。
ユミズタキス
メンバーのTEHOです。前回のコラムで書かせていただいた<ばかまじめな相互理解の過程>について、もう少し詳しく書いてみたいと思う。実際に自分が体験した会話をたとえにして、まず自分が苦手なパターンの会話について説明してみる。
ある日仲間内で集まった際に、そのうちのひとりが頭を奇抜な髪型にしてきた。彼の髪型に対して「似合ってなくね?」のような感じで、みんなで茶化してイジる流れの会話が始まった。急に「TEHOはどう思う?」と話を振られ、自分はその髪型は悪くないのではと思っていたので、その根拠も考えた上で「いいんじゃない」と答えた。それに対して「ははは、根拠はなんだよ」とみんなから笑って返された。こちらは根拠を持って発言しているのにそれを汲んでもらえなかった気がして、場の空気にそぐわないイライラした態度を取ってしまった。
僕は人付き合いが苦手だ。僕の人付き合いは、ばかまじめが過ぎるかもしれない。僕は年がら年中人の愚痴ばかり言ってるけれど、それには理由がある。
友達と意見を交換し合える仲間になれたらいいなと思ってるからこそ、ばかまじめな相互理解の過程を大切にしたいと思う。
その過程をすっ飛ばして、例えば他愛ない話をしながら食事をしたり、急に突発的な思いつきで君はこういう人だと評価されたりすると、ぎょっとする。彼らは自分と違って、「話す内容」というよりも、「話をするという体験」そのものが大事だと感じているのかもしれない。
自分のように考える人が少ないのもあって、最初の一歩で躓くことは多い。
それでも、そんな友達とも過程を踏めるようにしたいから、色々と方法を考えてみている。
TEHO
O = オーダー(秩序)
なかなか理解されない「自分ルール」にも、なにかヒントがあるかも。
みなさんこんにちは、TENTONTO編集長のユミズタキスです。”発達障害当事者の日常”をテーマに、リラックス出来ないASD(自閉症スペクトラム)&ADHD(注意欠陥性・多動性)のココロを描くこのコーナー。今日はみなさんに「ソツなくこなせなくてチルれない」というテーマで、お話をしたいと思います。