ソツなくこなせないから―ほんとうに好きなことって大事
CHILLれぬ日々を過ごす 第10回
みなさんこんにちは、TENTONTO編集長のユミズタキスです。”発達障害当事者の日常”をテーマに、リラックス出来ないASD(自閉症スペクトラム)&ADHD(注意欠陥性・多動性)のココロを描くこのコーナー。今日はみなさんに「ソツなくこなせなくてチルれない」というテーマで、お話をしたいと思います。
「何回やったらわかるんだ。」人に言われるまでもなく、何かにつけてミスをしてしまう自分をこの言葉で責めること。重めの発達障害を持ちながらもけんめいに日々をすごしている方には、ままある心の動きだと思います。私は高校で絵の予備校に通っていたとき先生から、「普通は1回目で控えめすぎで、2回目でやり過ぎて、3回目で塩梅を見つけてうまくいくもんなんだけど、君はいつまでもできないね。」と言われたことがあります。そんなことはわかってる、けどできない。焦るとなんでかできない。気が抜けててもできない。自転車での帰り道、悔しくて泣きながら帰ったことも、何回もありました。
当時の自分は不相応にしょいこみ過ぎで、荷を軽くして身軽でやった仕事の方が、それだけ込めたいところに力を込められることを知らなかったんだなと思います。特に、当たり前を当たり前にこなすことを不得手としている自覚が無かったので(為せば成る、と信じることで現実逃避していた)、なにが「致し方ないミス」で、なにが「改善できるミス」かを自分で切り分けられなかったことが、うまくいかないツラさを助長していたのだと思います。
注意欠陥の特徴について、改めてそうかあ、とわかったことがありました。ソツなくこなすことはできなくても、ものすごく楽しみにしていることや、ものすごく大事で、真剣に取り組みたいと強く思っていることには、「致し方ないミス」すら少なくなっているという事実です。平たく言って好きなことは頭に思い浮かべるだけで幸せな気分になりますし、何回も見返したり、丁寧に準備したりするのでミスが少なくなります。先日も、楽しみにしているアニメのことが気になってふと録画機をみると、うっかり電源コードが抜けてたことに気がつけて、無事録画できました。ドタバタ多動で動きまわって不意に抜けた電源コードすら気づいてしまう。好きなことってスゴイ!
とはいえ、好き過ぎて「ガッカリしないようにしなきゃ。」のような強迫観念にとらわれると、それはそれで良くない。急に楽しい気持ちもしぼんでしまいますから、あえて意識しないようにしたり、遠ざけたりといった行動をとって、余計にミスしやすくなったりします。好きなものには好きに任せて、存分に頭をいっぱいにすること。その状態でするなにかはギュッと専門性が高まって(ノーフリーランチ定理の理屈に当てはまると私は考えます)、普段ソツなくこなせないでガッカリな自分を再評価できるような、そんなステキなことが待っていたりします。
ソツなくこなせなくてチルれないからこそ、最高に好きなことを楽しめるんじゃないか。そんな風に思いながら、ぼへーっとアニメをみる私でした。