コラム:どこまでしたいかの話
発達障害者支援の話でなくても、およそ支援という、なにかしら人に対して支えとなるアプローチを取るとき、どんなビジョンを持っているか、が大切になってくると思う。よりはっきり言葉で言えば、どこまでを支え、どこから支えず、見守るに留めるか、という話だ。
発達障害者支援の話でなくても、およそ支援という、なにかしら人に対して支えとなるアプローチを取るとき、どんなビジョンを持っているか、が大切になってくると思う。よりはっきり言葉で言えば、どこまでを支え、どこから支えず、見守るに留めるか、という話だ。
週一回のツイキャス配信でも度々お話ししているように、去年の11月からゲーム「ポケモン」の最新作、サン/ムーンで遊んでいる。ポケモン新作で遊び始めたのは2002年のルビー/サファイア以来16年ぶりだったが、見慣れたやつ、初めて見るやつ…いろいろなモンスターを捕まえ、育て、一緒に戦うという旅は相変わらず楽しく、10日ほどでエンディングまで至った。
編集長タキスが実生活でいま一番救われているもの、それはボクシング。今日はその良さを、ざっくばらんに書いてみたいと思います。
過去にも、テントントさんにおすすめのスポーツの記事、テントントさんがやってみたことでの記事、そしてタキスの記事と、自閉症スペクトラム障害(ASD)者と格闘技の親和性について、これまでもお話してきました。なぜそうなのか一言で言ってみると、<上手い癇癪を起こせるようになる>からじゃないかと、私は考えています。
画像出典元:Wikimedia Commons 様 https://commons.wikimedia.org
感覚刺激を取り込む過程で、どこかしら処理を違えてしまった結果生じる困難、感覚処理障害(SPD)。自閉症スペクトラム障害(ASD)者にまま併発するその症状の緩和を図るデザインとして、テントントではセンサリーデザインの考え方をこれまでご紹介してきました。今日はデザインの文脈で、少し踏み込んだ内容をお話できればと思います。
私がメガネを掛けるようになったのは、高校生のころから。それまで視力が1.5あり、裸眼でもいろいろよく見えていた自分にとっては、いちいちメガネをつけたり外したりするのも面倒でしたし、メガネをかけた自分の顔に違和感があって、なるべくメガネが目立たないフチの細いタイプのものを選んでいたと思います。
時を経て、今やすっかりメガネとはおともだち。今かけている3つのメガネはそれぞれ役割が違います。そういえば各々がテントントメンバーと購入していることに気がついたので、ひとつひとつを思い出とともに紹介してみます。
人ひとりひとりには理解の範疇というものがあって、その範疇を超えたものごとを理解するためには、大変な労力を要する、と思う。例えばで持ち出すのがいつもスポーツの話題になって申し訳ないけれど、私はボクシングをやっているので、パンチの打ち方で説明してみる。
青いロクです。自閉症スペクトラム(以下ASD)の当事者を描いた「シンプル・シモン」(DVD特設サイト / 過去記事でのあらすじ紹介)の感想の続きです。
本編はハッピーエンドなのですが、映画をはじめて鑑賞した後、私はぼんやりして、よく理解できませんでした。
調子や環境にもよりますが、ASD当事者である私は、他人の気持ちを類推するのが苦手です。あいまいな気持ちは、頭の中に残りにくいですし、裏付けなしに信じられません。
それに対して、図形や、原因Aの結果Bとなった、というシンプル(簡潔)な意味の繋がりは、後で思い出して見直しやすいです。
映画の作者の意図するシンプルとどれほど合っているかはわかりませんが、今回は、感情や表情に納得しづらい私が、映画の展開にひとつの裏付けを得るまでを、順に説明します。
ハッピーエンドに一度で納得できる人には、下記は当たり前のことを難しく言い直しただけの文章に思われるかもしれません。
しかし、シンプルな、繰り返し確認しやすい原因と結果で、仮説と裏付けを組み立てたとき、どう見えるかという例となっています。
一部英語のダジャレを使わないと成り立たないのが、すっきりしませんが、英語圏のASD当事者、とくに言葉を使って考えるのが得意な方には多くの手がかりがあったようです。
O = オーダー(秩序)
なかなか理解されない「自分ルール」にも、なにかヒントがあるかも。
ユミズ タキス 作
おみくじ omikuji
定型発達者から見て発達障害者は、外国人みたいに価値観が違うそうだ→『発達障害のある人の就活成功バイブル』。
日本のアスペから世界のアスペへ、発達障害(自閉症スペクトラム)当事者が日本文化を図で紹介してみる。