馬のためのセンサリーデザインから考える

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E = エモ(感動)

「体感できるセンサリー」をお届け。動画や音楽をご紹介します。
 
 
 
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画像出典元:Ivana Basic 様 http://ivanabasic.com/

センサリーデザイン最前線 第5回

このコーナーでは世界各国での最新のセンサリーデザインの話題をご紹介します。第5回では「視覚」に注目した現代アートを取り上げてみます。本日取り上げるのは、セルビア出身でニューヨーク在住のイヴァナ・ベーシックさんの作品、ヒューマン・ブラインダーズです。

http://ivanabasic.com/project/human-blinders/

ヒューマン・ブラインダーズ

ヒューマン・ブラインダーズ(人用遮眼革)は政治的な装置として凝視することを議論するために身に付けるアクセサリーです。病的なほど疑い深い人の知識に基づく階層的な現実の構築への影響を考察します。

この作品は建設的または破壊的な装置としての凝視のアイデアと、全体を構成するために限られた範囲内で見ることの過程を通して作られるような完全性のアイデアに焦点を当てています。全体のある点に重点を置くことは、ただ観測者の目の中に捉えられ、全体における境界を定義づけられるということで、凝視そのものは―遮眼革の存在を通して―境界となります。
凝視はある安らぎを構成する境界となり、それはそれ自身を構築するという行為として、見るという行為を確立することです。

感覚を通して世界を捉えるということ

今回の作品は、これまでこのコーナーでご紹介してきたものと違って、感覚の違いから生じる問題を直接的に解決する装置ではありません。TENTONTOno.2の10-15ページに掲載したテントント思考実験室のように、思考実験の延長線上の手法として、凝視という概念を哲学するための芸術作品のようです。

センサリーデザインでは、ひとりひとりの感覚の違いに焦点を当てます。馬に付ける遮眼革(ブリンカー)は、馬の視野の広さに由来する恐怖や混乱を抑える目的で開発され、今では個々の馬の個性に合わせた形状、個性付けのためのファッション性を兼ね備えたものとして広く使用されているそうです。

この作品は私たちの「世界を認識する」という行為を視覚化したものと言えるかもしれません。私たちが見ようとして見るものは視界に入ったものでしかなく、心の中で見たものと照らし合わす要素も、同じような過程を通して得、構築してきたものだということ。そしてその行為が能動的―受動的であるか、生得的―後天的であるか、といった倫理的な問題についても、馬具を模すことで伝えようとしているように感じました。

人それぞれの感覚の違いからデザインをしていく際、不快であったそれまでの感覚によって構築された心が解体され、「再構築」されるということが生じるのかもしれません。そうなったとき、その人にどのような地平が訪れるのか。その人にとっての世界はどんなものに変わるのか。センサリーデザインについて思索を深めるきっかけになった作品です。
 

ユミズタキス
 
 
 

~こちらは2015/02/27公開の記事の再掲載です~