『自閉症という知性』レビュー2
画像出典元:NHK出版 https://www.nhk-book.co.jp/
こんばんは。編集長のmarfです。この度、センサリーデザイン最前線第40回、第50回でご紹介した池上英子教授のご厚意により、2019年3月11日に発売となった『自閉症という知性』(NHK出版新書 580)をご献本いただきました。
池上教授が4人の自閉症スペクトラム当事者との交流を経て書かれた本作。TENTONTOでは数回に分けて、本書籍のレビューをお届けします。前回に引き続き、ユミズがレビューします。
『自閉症という知性』レビュー
文:ユミズタキス
・第1章を読んで
NHK「自閉症アバターの世界」でも取り上げられた、セカンドライフ上で自己実現を図るラレさんに迫る。ゲームをつくったりするぼくからすれば、ラレさんのやっていることをゲームにして、お金を払って誰もが楽しめるようになればいいのに、と思うけれど、ラレさんはどう考えるのだろうか。
ソニー・プレイステーションのゲーム作品『LSD』みたいに、アーティスティックで不思議な世界を歩き回って体験できるようになればいいのにと思う。自分のためにやったことが誰かの感動につながるかもしれない、という「かもしれない」は、この手の特殊な表現手法に自分の能力との一致をみた人にはもってほしいマインドと個人的には思う。
現代美術家ジョン・ラフマンはセカンドライフで映像作品を作っていたし、類似した手法できちんと作品化してポートフォリオに入れるのもいいかもしれない。表現者という社会に還元できる可能性のある立場を持つだけで、少なくともラレさんが定型発達者から受ける仮想世界へ入れ込むことへの誹謗は色彩を変えそうに思われる。
ここでラレさんが作っているような、自分の社会での生きづらさや困難をテーマにした創作は、ぼくも中高生の頃ハックロムでゲームを作っていた経験があって共感できるものだった。身動きしづらい中で銃弾をかわしながら進んで行くゲームや(最後までたどり着いて安堵した瞬間に弾が当たるオチ付き)、完璧な精度で操作しないと届かない距離にある足場へ飛び移るゲーム。
やっぱり痛ましい。とはいえ、ハックロムマニアの人が遊んでくれてYouTubeに上げていて、今でも見れたりするものもある。こういったできごとを一つ一つ思い出して胸がいっぱいになる。
時を経て学を積みその段階を脱して、表現の持ちうる社会的価値について正面から考えられる自分がある。ぼくの社会化はそんなペースだったし、ラレさんはラレさんのペースというだけかもしれない。結局のところ、たっぷりの情熱と現実世界への深い洞察からくる知性から作りだした宝物を、計算と自信をもって売りつづけていくのが表現者なのだから。
・第2章を読んで
ラレさんの音楽の才能は、本人に合っているようだし音楽世界の動きとしても多様な表現者がますます求められているように感じるので、より社会化へ向けて追求していくと面白そうと思った。ただ、田舎に住んでいるからクリエイティブでありづらいというのは、彼の信仰や家族愛の深さとのトレードオフで成り立たせている要素である以上、安易に外すわけにもいかず難しさがある。
それとなく大事にしたいものを大事にした上では確かにこのような暮らしになるだろうし、真摯でもあるなと思う反面、社会化されうる非凡さのためにはまだその勇気の量が足りていない気がした。
父親に運転免許を取るのは辞めろと言われたから取っていない、といった思考の流れに、本人のクリエイティブでありたい大望と比しての精神的な甘さや弱さが垣間みえる。それを目指すなら目指す、目指さないなら目指さない。手慰みの時期から離れて、本当に大切にしたいものをみつけ開き直りきるためのすべてへ取り組むことから昇華への道は始まる。
SF好きなラレさんなら、映画インターステラーの「ニュートンの運動第三の法則。前に進むには、後ろになにかを置いていかなければならない。」を思い出してがんばっていただきたい。