『自閉症という知性』レビュー

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画像出典元:NHK出版 https://www.nhk-book.co.jp/

こんばんは。編集長のmarfです。この度、センサリーデザイン最前線第40回第50回でご紹介した池上英子教授のご厚意により、2019年3月11日に発売となった『自閉症という知性』(NHK出版新書 580)をご献本いただきました。

池上教授が4人の自閉症当事者との交流を経て書かれた本作。TENTONTOでは数回に分けて、本書籍のレビューをお届けします。
 
 
『自閉症という知性』レビュー
文:ユミズタキス

・ぱっと読んでみて
ぼくも本書で語られている当事者らと同じく、経済的に有利になる機会を度々放棄してまで、自身の肉体と精神を組み替えるような奇妙な術を時間をかけて開発してきた。この推理と試験を重ねて作られた痛ましいノウハウの数々は、多くの人からみて快適さからかけ離れた見栄えをしていると知っている。だから口外を避ける。

ぼくの場合それに加えて、ごく信頼できる友人らに生存報告も兼ねて共有するか、感覚の違いについての無知の知の契機となること・誰かの安堵に繋がることになればと一部公開する、もある。ただ、いずれにせよ慎重に慎重を期している。生まれ持って社会常識に欠けがちな当事者が罪業念慮に駆られながら表現者としての責任を全うしようとすることには、それだけ苦労があったりする。

このようにして普段からデリケートなこの事柄を神経質に扱い続けているので、こうしてそれらがドドッと並んでいるものを読むと、やはりなんというか、すぐに胸がいっぱいになって苦しくなる。泣いている子どもがいる部屋から出られないときのような居たたまれない気持ちになる。共感してしまって感情は流れ込むし、その長さや強さが充分配慮されているわけでもない。こういったテーマを扱うにしても、ディズニーのピクサー作品のように情報量がテンポや展開によって絶妙に分散・調整されていればいいのに、と感じる。

極端にひとつの情報が詰まった本ならではである、が、この読み応えの感じはぼくが当事者で、定型発達者のように他人事として読めないからだとも思われる。でも読書感想文なんて本人が思ったことを書くものなので、最初にそう思ったのだからそう書くのが筋だろうから、この書き出しになった。
 
 
・プロローグを読んで
ニューロ・ダイバーシティ(神経構造の多様性)。雛形を失ったような人らしさを一言で表すとすれば、それはグロテスクだ。以前も記事にしたが、この手のグロテスクは多くの場合エトス(信頼)の得づらさとして機能し、当事者の暮らしを悪化させる要因となる。

たまたまそのときの社会規範上あまりグロくなかったりするケースや、退廃的な趣味趣向をもつ人らからの歪な信頼になったりするケースなどはその限りではない。しかし、真なる社会的価値としてそのグロテスクを昇華するには、当事者の自己洞察と自己構築が不可欠であることは自明に思われる。

発達障害当事者の社会の歯車としてのふさわしくなさは、歯の数や大きさが合わないとか欠けているとかだけでなく、そもそもゼリーやチョコでできていたりといった素材の不適合にまで及ぶと考えたい。
そこまでの多様性を社会が活用するためには、

1.社会の理解によって当事者自身が集中して自己洞察を深める機会を得られること
2.当事者が自身への研究を深めて自立し、充分に独創的な個として能力を昇華できるようになること
3.社会の理解によって経歴や職能の偏りやコミュニケーションの問題への差別が和らげられること

の3段階が必要とぼくは思う。そしてこれらが当事者の身に訪れることは夢物語ではない、というのが、本書の出たのちの社会が指し示す方向であってほしいと思う。