チルれないけどチルれてる、幸せな時間

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CHILLれぬ日々を過ごす 第3回

みなさんこんにちは、TENTONTO編集長のタキスです。「発達障害当事者の日常」をテーマに、リラックス出来ないアスペルガー&ADHDのココロを描くこのコーナー。今日は皆さんに、「チルれないけどチルれてる」という当事者の幸せな気持ちの話をしようと思います。

アスピーの不思議な性質のひとつに、多くの方が面白がらないようなものを面白がることがあります。小学校にいる間にASDとADHDの両方を持つ私の興味を引き続けたのは、友達とサッカーすることでも女の子と喋ることでもなく、石ころ(鉱物の結晶)探しに没頭することでした。

小学校1年生のときに出会った鉱物・化石・岩石の図鑑には、定規でピシっと描かれた結晶の模式図と、その結晶の形をした実際の鉱物の写真が併せて載っていました。「つまり、この現実離れしたきれいなのが、ひとりでに生まれていて、どこかに必ず埋まっていて、それをゲットできるってこと?」

ページをめくると、よくみつけることのできる鉱物のリストがあります。あるはず、本に書いてあったから、必ずあるはず。次の日から校庭の砂利を手でさらう毎日が続きます。最初の一週間、丁寧に砂利の中を探した結果、4センチほどの美しい石英の結晶(いわゆる水晶)を見つけてしまいました。もうやめられません。

校庭の果て、簡単に言えば校舎の壁の下やフェンスの下には、地面が踏み固められていないので砂が溜まっていて探しやすい。鉄棒の下も鉄柱の周りにはサラサラした砂が多い。そんなことを考えながら、学校の休憩時間を満喫します。目が疲れてきたときのために、給食のストローでつくった笛と、やたら良く翔ぶカエルの折り紙が左右のポケットにそれぞれ入っています。

たしかにずっと集中して探しているので、結構疲れてしまいます。ただ、砂がサラサラして手触りがいいので心地よいのと、どこかに必ず素敵なものが埋まっているという『無限に触れてる感じ』がなんとも心地よかったのを覚えています。

今私は、掘っては珍しい鉱石を探すマインクラフトというゲームをやっています。このゲームが良く出来ていて、あの時に感じていた心地よさが気軽に味わえて、とても嬉しく思います。ゲームや鉱物採集などの趣味は、ともすれば生産性がなくて時間の無駄、暇な人がする暇つぶし、と言われてしまいます。ですが、私の感覚にとってここちの良い、センサリーなこれらの遊びの存在に、私はとても救われています。

ユミズ タキス